モリマリ本。

最初になぜ手にしたのか、今となっては分からない。

しかし、とにかく大昔、少女のころから、その本は私の書棚にあった。

ぜいたくびんぼう
(「贅沢貧乏」 森茉莉 新潮社)

ボロアパートの一室で、自分の好きなものに囲まれている、筆者らしき女性の暮らしぶりが楽しくて、こんな風に暮らせたらなあ、と夢みたりした。

文中では牟礼魔利(むれ・まりあ)と表記されたモリマリその人に興味がわいて、他の著書も読んでみたが、耽美的と評されるロマンスや、親バカならぬ娘バカとしか思えない、父親・森鴎外に関する無条件の礼賛には、ついていけなかった。

キライなの!私はこれがキライなの!と、当たるを幸い切って捨てるような晩年のエッセイには、独自のものの見方があって面白いが、私にとってモリマリといえば、やはり最初に読んだあの本である。

無秩序に散らかっているように見えて、好きなもので埋め尽くされた部屋。

貧乏アパートでも、心は贅沢

他人がなんと言おうとも、自分で価値を見つけていく素敵さ。

いい大人を通り越して、おばあさんと言っていい年齢の人が、永遠の少女のような、夢みる生き方をすることに、少女の私は憧れたのだと思う。

しかし、こうして自分がいい年になってみると、また違う感じ方がある。

散らかった部屋から、自分の見たいもの、美しい部分だけを切り取って耽溺できるということは、一種の才能だ。

モリマリは、在ることを無かったような顔ができる人である。

2度結婚して2人の子供を産んでおきながら、自らを無垢な少女になぞらえることも。

今でいうゴミ屋敷状態の部屋に住みながら、欧羅巴の美や江戸の粋を語ることも。

見たくないものを見ずにいなければできるものではない。

他人の手前、無いようなふりをする、というのではなく、彼女にとって不愉快なことや嫌いなものは、ほんとうに存在しないことになってしまうのだろう。

そこに私は、子供らしい想像力よりも、女のふてぶてしさを見る。美しい人の足に、醜い座り胼胝を見てしまったような、悲しみをおぼえる。

モリマリの部屋に招かれた室生犀星は、その混沌を仔細に観察したあげく、帰り際には

このさびしい部屋

と、評して去った。

女性の美にことのほか敏感な、この文学者の眼は、信じていいのではないか。

森茉莉が、その部屋から彼岸へと歩み去ってから、もう30年になる。

もりまり
森茉莉 (1903.1.7-1987.6.6 )



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ブックガイド | コメント(8) | トラックバック(0) | 2017/06/06 11:30

チビネコ本。

私はずいぶんオクテで、ボンヤリした子供であった。

子供の頃の記憶といえば、窓の外を見てボーッとしていたことばかり。

ボンヤリしているからといって、何かを考えるでもない。表現するとすれば

ふきだし…

こんな感じである。

言われたことは素直にやるが、生きる意欲に乏しく、本やマンガの世界に埋もれて、フワフワしている子供だった。

その日も雑誌をめくっていた私は、あるマンガに強く惹きつけられた。

わたのくにほし
(「綿の国星」 花とゆめコミックス)

主人公は仔猫。猫の絵ではなく、耳のついた小さな女の子の姿で描かれている。

今は珍しくもない猫耳の女の子のイラストは、当時は目新しかったが、そんなことより私を驚かせたのは、この仔猫が、じつによくヒトリゴトをいうことである。

コマの中に浮かぶ雲の吹き出しに書き込まれたセリフの、何倍も多い内心の声。

私はそれまで、言葉というのは、他人に向けて発するものだと思っていた。

しかし、幼稚園児ほどに見える仔猫は、心の中にたくさんの言葉を持っている。

誰にも言わない気持ちも、言葉に変えて胸にしまっている。

誰にも届かない言葉もあっていい、そう知った時を境に、私の世界は変わったのだ。

霞に包まれ、遠くで霧笛が鳴っていた心象の世界が、にわかに色とりどりに、饒舌に、周囲の事象を語り始めた。

この季節になると思い出すのは、このマンガの最後の言葉。

おばけのような桜が
おわったとおもうと
遅咲きの八重桜

すみれや 
れんぎょう 
花厨王

黄色い山ぶき
雪柳
なんとすごい
なんとすごい
季節でしょう


緑に萌える木々、名も知らぬ花にまといつくチョウを見て、私はつぶやく。

なんとすごい
なんとすごい
季節でしょう


聞く人は無いが、それでいい。幸せな、季節がはじまる。



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ブックガイド | コメント(14) | トラックバック(0) | 2017/04/27 11:06

ミカンノ本。

名前を呼ばれて振り向いたら、暖かな黄色の、まあるいものを渡された。

はい!おすそ分け…

わあ キレイ… なんていうミカンですか?

うーん… なんだっけ… 家に帰って段ボール見ればわかるんだけど…

今はいろんな品種がありますもんね

そーなの 何だっけな…確か、なんだか女の子の名前みたいな…

え?女の子?

ナンノコッチャと思ったところでお昼休みが終わったので、話はそこで中断。

家に帰って文明の利器で調べて、ナルホドと腑に落ちた。

はるみ
はるみちゃん

せとか
せとかちゃん

きよみ
きよみちゃん

じつにたくさんの女の子がいる。

ミカンというとコタツで食べるものと思っていたが、冬に出るのは温州ミカンなど一部の品種で、おおかたのミカンの旬は春先なのだという。

そういえば、

「これは レモンのにおいですか?」

で、はじまる、あのお話にも、モンシロチョウやタンポポが出てきた。

しろいぼうし
(「車のいろは空のいろ 白いぼうし」 ポプラ社)

どこか遠くから来た、この子の名前は何かしら。そう思いながら、ミカンをてのひらにのせた。



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ブックガイド | コメント(10) | トラックバック(0) | 2017/04/24 11:13

イタズラ本。

子供の頃、海外に実際に行ける人はほんの一握り。外国の風土や生活習慣を知るよすがといえば、日曜日の朝の「兼高かおる世界の旅だけ。

これはそんな時代の私に、欧米への憧れを、ヘンな風に育てた本である。

いたずらのてんさい
(「いたずらの天才」 文春文庫)

題名の通り、イタズラの本だ。

大のオトナが、面白いからというだけの理由で、時には少なからぬ費用や労力を注いで、じつに様々なイタズラを工夫する。

大人はふざけたりするものではない、と、かたく信じていた昭和の子供にとっては、衝撃だった。そんな人がいっぱいるなんて、外国はすごいなあと感心した。

右肩上がりの進歩が信じられていたあの時代、欧米化は無条件で素晴らしいことであった。

子供の私はこの本を読んで、やがて日本でも、こんなふうに皆がイタズラをやるようになるのだと考え、ワクワクした。

あれから日本もずいぶん国際化したが、いわゆるプラクティカルジョークが定着したようすはない。

ハロウィーンやらイースターやら、けったいな習慣がさっさと定着するのに、エイプリルフールは今一つパッとしない。

お菓子やグッズが売れるような行事ではないので、企業が乗り出して来ないのが最大の要因だろうが、思うに日本人はクソマジメなのだ。

今日もごく少数の人がヘタクソな四月馬鹿をやるかもしれないが、あまり期待はしていない。

「いたずらの天才」は1975年3月刊、やっぱり絶版である。



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ブックガイド | コメント(8) | トラックバック(0) | 2017/04/01 11:30

コソコソ本。

今でこそ誰はばかることなく、のべつ本を読んでいるが、昔はなかなか気を使うことも多かった。

私は、不活発で外遊びの嫌いな子供だった。

ガキが集まって、走ったり飛んだりして何が面白い、そんな生意気なガキであった。

しかし、母親族とは子供は風の子信仰に憑かれているものである。

寒くても暑くても、晴れていれば読みかけの本を取り上げられ、外で遊びなさい、と玄関を放り出される。

しかたなく外にいるものの、何をするわけでもない。電柱にもたれて、さっきまで読んでいた本の挿絵の一場面から、まだ読んでない先を想像したりして、時間をつぶす。

しばらくして母のガードが緩くなったころを見計らって家に忍び入り、こっそり本を取り戻して、オシイレに入る。今度こそ見つからないように、最後まで読むのだ。

夢中になっていると、背後からアヤシイ気配を感じる。振り向けば鬼の形相の母がいて、

そんな薄暗いところで!目が悪くなるでしょう!

また、こっぴどく叱られたものだ。

風の子信仰や視力低下恐怖の他にも、私を阻むものがあった。

それは、子供らしい本主義である。

学校の図書室で借りてきた本なら、母はちらりと見るだけで、すぐに無関心に目を背けた。

しかし街の古本屋の50円コーナーから、ワクワクするようなミステリーを掘り出してくると、

そんな大人の本、まだ早いわ

と眉をひそめ、いい顔をされない。

もっと子供らしい本を読みなさい!

とも言われた。でも、子供らしい本なんか、全然面白くないのである。

早く大人になって、好きな本を好きな時に好きなだけ読みたい!少女期の私の将来の希望といえば、ただそれだけであった。

今になってしみじみ思うが、大人に隠れてコソコソ読む本ほど、面白いものはない。

見つかったら叱られる、とドキドキしながら隠れて読む、半裸の美女や残虐な密室殺人、衒学的な名探偵の言辞の魅惑的なこと。

この本も、そんな風にコソコソ読んだ中の一冊である。

よるあるく
(「夜歩く」 ハヤカワミステリ文庫)

今日は作者カーの没後、40年らしい。



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ブックガイド | コメント(6) | トラックバック(0) | 2017/02/27 11:36
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