いっさつ話。

車を持たないので、電車に乗って移動することが多い。

手持ち無沙汰な車内の時間を過ごすため、本を一冊持って出るのが習慣である。

バタバタと慌ただしい朝、どの本にするか迷っていて、遅刻しそうになったりする。

最近気づいたのだが、そうまでして持って行った本を、一瞥もせず持ち帰ることが増えた。

電車に乗っても、本を開くことなく過ごせるということだ。

じゃあ何をしているのかというと、何もしていない

周囲の乗客は皆、スマホの画面を見つめて何やら忙しそうだが、私は中吊り広告を読むこともなく、ただボンヤリしているうちに駅に着いてしまう。

それでいて退屈ということはなく、三十分という時間があっという間だ。

これはもしかして、老化の兆候ではないのだろうか。

子供のころ、日なたに何をするでもなく座っている年寄りを見ると、退屈しないのか不思議に思ったものだが、あの境地に近づきつつあるのではないか。

老化防止のためには無理にでも読んだほうがいいのか、とも思うが、いざ電車に乗ってみると、気の散ることも多く、なかなか本が取り出せない。

ハッと気づいてカバンを開ける頃には、電車は目的地に到着しようとしている。

荷物にもなることだし、もう本を持って出ること自体やめちゃおうかなー。

無人島に行くならどの一冊?という質問をよく見るが、今の私なら、別にもういいや~、となってしまうかもしれない。

むじんとう
(実際無人島に放り出されたら読書どころではない)



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もろもろ | コメント(16) | トラックバック(0) | 2015/11/20 10:30

こむらの話。

目覚ましの鳴る前にふと目が覚めた。窓に目をやると外はまだ暗い。

横になったまま、手をグーにして枕の上に出し、足を伸ばす…と、シマッタ!と思う間もなく、ふくらはぎに激痛が走る。

こむら返りだ。

冷え込み始めるこの時期、必ず一度はひどい目に遭っているのに、毎回忘れてしまう。

いてててて…

うなりながら、前回こうなった時に調べた「こむら返りの対処法」を思い出そうとするが、

「こむら返り」の「こむら」はと書いてふくらはぎのことです

などというマメ知識だけが脳裏を去来し、肝心のことが浮かばない。

仕方なくリビングの薬箱まで這って行き、ふくらはぎ…いや、こむらにエアーサロンパスを噴射し、人心地ついた。

リビングは薄暗く静かで、自分の部屋で寝ているムスコは起きてくる気配もない。

電気も点けないままソファに腰かけ、まだ痛むふくらはぎ…じゃなくてこむらをさすりつつ、孤独について考えた。

私には大切な家族があり、少ないが大事なお友達もいるけれど、今この痛みを感じている私はたった一人。

けっきょく誰とも分かち合うことはできないのだ。

もっと若い時なら、この感覚を、安易な寂しさや簡単な絶望で片付けてしまっていたかもしれないが、ありがたいことに、年齢が私を少し賢くしてくれた。

この地球の上に、人の数と同じだけ孤独がある。

そう思うと、寂しさよりむしろ、不思議な安心感というか、人類への連帯感が湧く。

ネマキのままボーっとしているオバサンが、地球規模の連帯を考えている。

我ながらおかしくなって、少し笑った後、コーヒーを淹れるために立ち上がった。

ふくらはぎ…じゃなくてこむらの痛みは、いつの間にか消えていた。

みかえりこぶら
(これはこむら返り…ではなく、振り返るコブラ)



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もろもろ | コメント(14) | トラックバック(0) | 2015/11/19 10:43

フェルト本。

昨日、高校生の不出来なフェルトマスコットに熱くなったのには理由がある。

小学生の頃から、フェルト手芸が趣味だった。

母の婦人雑誌の手芸記事から、お人形や小物のレシピを見つけては、ちまちまと作る。

フェルトは市場の毛糸屋に買いに行くが、あの当時20センチ角で50円だったか、100円だったか。

乏しい小遣いから、今月はピンクと白、来月は赤と水色、というように、少しずつ買い溜めた。

お気に入りを探すうちに、特にかわいいお人形を作る作家さんの名前を覚えた。

大高輝美さんがその人である。

今のようにネット検索で一発という時代ではない。田舎の本屋の小さな書棚で、この本を見つけたときは大コーフンした。

おおたかてるみ

コロコロとお手玉ほどの、童話の主人公や、いろんな国の服装をした、色とりどりのお人形。

小さいけれど立体感があり、表情豊かなマスコットたちに、中学生の私は夢中になった。

私はありったけのフェルトを使って、次々とマスコットを量産した。

作ってみると、目鼻の位置によって表情が大きく変わり、かわいく見せる配色も難しい。

日に二つ三つと作ったこともあった。どれも我ながら出来が良く、お友達に見せるとみんなが欲しがるので、嬉しくなって気前よく配ったものだ。

そんなわけで、私の手元には、あの頃のマスコットは一つも残っていない。

学生カバンを持たなくなって、マスコットも作らなくなった。

何度も開いたために、綴じ目の糊が老けてバラバラになったこの本と、いくつも丸い形が切り抜かれた、色とりどりのフェルトの残りだけが、ひっそりとクローゼットの中にある。

「大高輝美のお人形 てるみのおもちゃ箱」は、昭和52年5月初版、残念ながら絶版だが、蔵書している図書館は多い。



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ブックガイド | コメント(16) | トラックバック(0) | 2015/11/18 10:41

ふぇると話。

夕方の電車で、部活帰りの高校生に囲まれた。

クダラナイことに笑う野太い声、デカい荷物で通路をふさぐ図々しさ、動物園のタヌキの檻みたいな汗の悪臭。

何もかもが不愉快である。

そしてその全てにも増して私を居心地悪くさせたのは、ヤツらのどデカいエナメルバッグに下がっていた、フェルトのマスコットである

運動部の高校生のカバンには、かなりの確率でフェルトで作ったマスコットがついている。

ぶかつますこっと2

ユニフォームやボールをかたどり、イニシャルや必勝!などが刺繍されていることも多い。

女子マネージャーか、カノジョ(ケッ!)か、まさか母親ではあるまいが、いずれにせよヤツらの周りの女の子が作ったものだろう。

ほほえましいと言えば言えなくもないが、最近の子はお裁縫がヘタクソだから、縫い目も揃わずみっともないものが多い。

それにしても、この日私を囲んだタヌキ臭いヤツらのはひどかった。

まず、色はコタツ板の裏のような濃い緑と、風呂敷の

まん中にあるゾウキンのような運針は、よくよく目を凝らせば、どうやらイニシャルらしい。

周囲の縫い目は1センチ間隔で、中につめた綿がはみ出しそうになっている。

よくぞこんなものを人様に進呈したものだが、黙ってカバンに下げる方もどうかしている。よほど断れない間柄なのだろうか。

私ならもうちょっとマシなものができるのに、と、技癢を感じ、腕がムズムズする。

ヤツらのカバンから、そのヘンテコなカタマリを奪い去り、作り直したい気持ちを、こらえるのが大変だった。


(上のマスコットの写真はこの本からお借りしました)
ぶかつますこっと1

「フェルトの部活マスコット」



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むかしむかし | コメント(14) | トラックバック(0) | 2015/11/17 10:26

そこまで話。

休みに一日外で遊んで、帰りが夕方になった。

うちは廊下の右がリビング、左がムスメとムスコの部屋である。

玄関入ってずんずんと右に進み、ドアをバーンと開けて叫ぶ。

そこまでだ!

ムスコは根っからのインドア派で、土日といえばリビングでゴロゴロ、DVDを見たり、パソコンを触ったり。

私が家にいればあれこれ小言を言われるので、外出の日は鬼の居ぬ間に洗濯とばかり、羽を伸ばしている。

そんなムスコにとって、私の帰宅はすなわち自由の終焉を意味するのである。

それを宣言する意味で、いつの頃からか、このような挨拶が定着した。

今日も、マンガ本を手にひっくり返るムスコを予想して、リビングのドアを開けたのだが

      :
      :
しーん

… リビングは無人で、静かで、寒かった。

拍子抜けしてソファに腰を下ろし、クツシタを脱ぐ。

狭い家である。そこまでだ!が聞こえたのか、ムスコが部屋から出てきた。

明日提出のレポートやってたんだよ…

お土産のケーキの箱を開けながら、ニヤニヤしているムスコが、なぜか憎たらしい私であった。



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ごかぞく | コメント(8) | トラックバック(0) | 2015/11/16 09:40

ふきよせ話。

街路樹の落ち葉が、風に転がっていく。

道路脇に目をやれば、サクラ、ケヤキの枯葉の陰に、コナラやクヌギのドングリが隠れた、秋の色のちいさなカーペット。

ふきよせ

わが国語には、こういう様子を表す、吹き寄せという言葉がちゃんとある。

落ち葉が風に吹かれて一ところに寄った、それだけのことに目を止めた、昔の人の心のあり方はとても美しいと思う。

むかし勤めていた会社には、取引先から時々、京都のお菓子が届いた。

若いOL連中は、湯沸室でおしゃべりしながら食べるが、主任以上の席には、懐紙に乗せ、お茶を淹れて配る。

書類から目も離さずにボリボリ食べてしまう人も多い中で、嬉しそうに目を細め

おお、吹きよせ、か…

と、言いながら受け取ってくれる人もいた。

お干菓子や小さなお煎餅を、色とりどりに詰合せたものを、落ち葉の吹き寄せになぞらえて、「吹きよせ」というのだ。

上品な味わいは、若かった私には物足りなくて、クッキーのほうがいいのに、と思ったりした。

今、あの「吹きよせ」を食べてみたいなあ、濃いお茶を、熱く淹れて。

ふきよせ2

( → 京菓匠 鶴屋吉信 吹きよせ )



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もろもろ | コメント(10) | トラックバック(0) | 2015/11/15 11:25

きおくの話。

年齢からくる不調を改善するため、サプリメントを飲んでいる。(→ さぷりの話。

だいたい朝に飲むのだが、ゴミの収集日だったり、弁当作りに手間取ってバタバタすると、忘れることもある。

忘れたことを覚えていれば、後で思い出して飲むからいいのだが、問題は飲んだか飲んでないか覚えてないときである。

ビンを開けて、粒を数えて、口に放り込む。この一連の動作を今日やったかどうか、目をつぶり、眉をしかめ、アタマを絞って考える。

確かにその動作をした気はするが、その記憶が今日のか昨日のか、判然としない。

結局、エイままよ、と飲まずにいることもあるし、飲んだかもなあと思いつつ飲むこともある。

そんな具合だから、きちんと飲めば一カ月でなくなるはずの一ビンが、やけに長持ちしたり、逆に月半ばで空っぽになってしまったりするのだ。

今朝もまた、飲んだか飲まなかったかわからなくなり、サプリメントのビンを手に悩んでいて、ふと気がついた。

これって、脳の働きをよくするんじゃなかったっけか?

そんなものを飲んでいるにしては、記憶の失われ具合が甚だしい。飲むべき分量をきちんと飲まないからだろうか。

サプリメントの効能を発揮させるには、忘れずに飲まないといけない。

しかし、忘れないためには、サプリメントで脳の働きを良くせねばならぬではないか。

抜け出せない環の中に、はまり込んだような気がする。



のうにいいさぷり



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もろもろ | コメント(18) | トラックバック(0) | 2015/11/14 09:30

こざらの話。

回転寿司に行ったら、帰りに小皿をくれた。

ふだんなら要りませんと断るのだが、中ジョッキ3杯も飲んでゴキゲンだったため、ハイハイと受け取って帰ってしまった。

朝になって我に返り、ブツを前に憮然としている私である。

こんな小皿一枚ぽっち、どうすりゃいいのか。

お醤油をつける小皿なら揃いで持っているし、おかずを乗っけるには小さすぎる。

だいたい、なんで小皿なんかくれるのだろう。

せめて中皿、できれば大皿にしてくれりゃいいのに。

もっと言うなら、なぜお皿なのか。

どうせ小がつくものなら、小金が欲しい。

なんなら大金でもいい。全然かまわない。

それなら断ったりしないし、大喜びするぞ。

お寿司を食べて、帰りに大金がもらえたら、嬉しいな~…

… はァ…、妄想はほどほどに、小皿はバザー行きの箱に放り込もう。

そしなのこざら
(小銭と小皿、あなたならどっち?)


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もろもろ | コメント(14) | トラックバック(0) | 2015/11/13 10:11

たいけん話。

行きがけに図書館に寄ったら、新顔がいた。

いつもの、覇気のないアンチャンでも、怒らせたら怖そうな老嬢でも、ただ息をしてるだけの、定年寸前のオヤジでもない。

リンゴみたいにほっぺの赤い少年である。

お仕着せの黄色いエプロンをして、緊張した面持ちでカウンターに座っている。

そういえば、この近くの中学校で、職場体験をやってる時期。昔はなかったが、最近の学校ではだいたい行われている行事だ。

昨日行ったコープの店舗でも、お母さんみたいなパートさんに付き添われ、男の子がスナック菓子の品出しをやっていた。

今日はこのまま出かけるので、返却だけのつもりだったが、リンゴ少年のせっかくの体験を、少しばかりエキサイティングにしてやろう。

ちょっとだけ慣れてきました、という風情で、返却手続き中の少年に言ってみた。

予約した本はまだ来ていませんか?

案の定、リンゴ君は、手にした本を取り落としそうになるほど驚いて、椅子から飛び上がった。

は!へ?ヨヤクですか?

声変わり前の、甲高い声。赤いほっぺがさらに紅潮する。

ふだんは奥に引っ込んでなかなか出て来ない老嬢が、ボーヤの危機を察知して飛んできた。

彼女があんなに素早く動けるとは知らなかった。

頼れる味方の登場にホッとしたリンゴ君は、老嬢の指導よろしく、端末で予約状況を調べ、届いていた本を何とか見つけ出して、慎重にバーコードリーダーを通し、貸出手続きをしてくれた。

11ガツ25ニチのヘンキャクです…

カワイイ声で言って差し出す本をお礼を言って受け取り、外に出た。

夕方の帰り道、図書館の前を通ったら、ガヤガヤと出てくる中学生の集団に出くわした。

中にあのリンゴ君もいた。できるだけ声を低く野太く作って、

オレさぁ… めっちゃアセッてさぁ…

なんて言っている。

今朝がた自分に試練を与えたオバサンのことなんか忘れたように、友だちと楽しそうだ。

一日持って歩くことになった予約の本は、ちょっと重たかった。

としょかんせんそう
(こんな職場体験は困る)



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ごきんじょ | コメント(8) | トラックバック(0) | 2015/11/12 11:15

れしぴの話。

テレビで、雑誌で、毎日さまざまな目新しい料理が紹介されている。

エスニックや創作料理など、食材や調味料を見ただけでは味の想像がつかないものもある。

ああいうのを見て、実際に作ってみる人ってどれくらいいるのだろうか?

私の場合、料理番組を見ても、主婦雑誌を読んでも、

へえ~、こういうのあるんだ~

と面白がったら終わりで、自分の作るその日の料理に影響することは、まずない。

テレビや雑誌の情報は、それはそれとして、私は私の普段作る料理しか作らない。

たとえばサンマとクレソンのアヒージョ風煮込み(仮)というものを初めて見て、おいしそう!と思うには相当の想像力が要る。

  ※ 雑誌を繰りながらテキトーに考えたもので実在の料理ではありません

そこを何とかクリアして作ってみたとして、問題は、ソレが果たして正解かどうか、である。

レシピに首っ引きで作ったソレが、本物のサンマとクレソンのアヒージョ風煮込み(仮)であるという保証はどこにもない。

美味しくてもマズくても、なにしろ正解がないから、これはこんなモノなのかも…と思って終わりになる。

その曖昧さが困るのである。

ここまで書いて、ハタと気づき、念のためサンマとクレソンのアヒージョ風煮込み(仮)をネット検索してみたところ、驚いたことに、いくつか類似のレシピがヒットするではないか。

さんまのあひーじょ

世の料理研究家の皆さんのあくなき探求心に驚嘆するとともに、これだけ連発した以上、今夜はサンマとクレソンのアヒージョ風煮込み(仮)を作るべきか、迷っている私である。



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もろもろ | コメント(10) | トラックバック(0) | 2015/11/11 09:07
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