こめとぐ話。

人によって、キライな家事があるものだ。

料理がキライな人。料理は苦にならないのに、後片付けが苦手な人。

アイロンがけをするくらいなら、死んだほうがマシだ!という人もいる。

私はいつの頃からか、お米を研ぐのがイヤだった。

どうしてもできない、というわけではない。

お米をいれたボウルに蛇口から水を入れ、手を突っ込んでぐるぐる回す。お米をこぼさないように、研ぎ汁だけ流し、水を入れ替えて、また研ぐ。

無心に単純作業をしているつもりが、心の底の底のどこかに、濁った感情がのろのろと流れ、周囲を汚していくのを感じる。

研ぎ汁が透明になり、お米をお釜にセットする時には、その流れは止まって、次にお米に手を入れるまで、小さな負の感情は忘れられてしまう。

忘れては思い出す、そんなことを日々、何度も何度も繰り返して、ある日ふと気づいた。

私、お米を研ぐのがイヤなんだ!

ごはんを炊くのは家事担当者にとってなかなかに重要な作業である。

それがイヤだとなると、家族の食生活に支障をきたすのではないか、と危惧したが、そんな私にとって本当にけっこうなものがあった。

無洗米である。

気になる人はさっとすすいでもよいが、とにかく研がずに水加減がすぐできるという、画期的な商品。

以来うちでは無洗米しか買わないが、おかげで生活が100ワットくらい明るくなった気がする。

子供の頃、最初のお手伝いらしいお手伝いは、お米を研ぐことだった。

その頃は、めんどくさいとは思っても、イヤだった記憶はない。お米の間を指が通る感触も、濁ったとぎ汁がだんだん透き通っていくのも、楽しかった。

結婚して、子供ができ、小さかった子供を踏み台にのせて、並んでお米を研いだこともあった。

コツンと思い当たるのは離婚の前後である。

夫婦の空気が不穏になり、家の中は寒くなり、愛情があるのか憎いのか、わからない夫のために、それでも食事を用意する日々。

決定的な言葉をいつ言われるか、背後に冷え冷えした気配を感じながら、冷たい水に手を入れる。

力を入れてかき回すと、研ぎ汁が濁り、心が濁る。

もうずっと昔のことに思えるが、水を張ったボウルに向かうと、あの日々がよみがえるのかもしれない。

先日、お友だちが、銘柄米の新米をくれた。

ごく自然にボウルに入れ、水を入れていた。くるくるとかき回し、コメの手触りを楽しむ。

新米、嬉しいな。

つやつやの炊きあがりを想像しながら研ぎ終わり、お釜にセットしてスイッチを入れる。

久しぶりに、無心でお米を研いだ。

気がつけば、離婚してから、とうに10年が過ぎていた。

しんまい



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もろもろ | コメント(6) | トラックバック(0) | 2016/10/31 11:51
コメント
No title
こんにちは
米とぎが嫌いなんですか~
私は子供の頃は、父親がいなかったもので、毎日米をといで、ご飯を炊くのが日課でした。
当時は電気釜などなかったので、まきで、炊きました。
おこげが好きだったので、わざと弱火にするところを遅らせて、おこげを作ったものでした。

今では懐かしい思い出です。
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お米を研ぐ
色んな思いがこの行為にはあるんですね。

単純作業ではない。
感情が伴う複合処理。
離婚してから10年も経つのですね。

新しい素敵な人とのためにお米を研ぐのもいいかもしれません。
Re: No title
Carlos様

よくお手伝いをされたんですね。お米を研いでお釜を仕掛けている小さい背中を想像しました。

電気釜ではおこげもできませんね。
Re: No title
鍵コメj様

環境のことなどいろいろ考えるべきことがありますね。

精米技術の向上が無洗米を可能にしたのでしょうね。
Re: お米を研ぐ
rockin'様

時間が薬、なんてことを最近よく思います。


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