ソウセキ本。

夏目漱石について、語るべきことは何もない。

猫や坊ちゃんの江戸前の笑談は、関西人の私にはいっこう通じないし、かといって則天去私などと深刻ぶられても、さらに面白くない。

今年は漱石の素顔を描くドラマなども次々放映されるが、見ない。だいたい私は、外でいい顔をしてきて、家で妻子に当たり散らす男はキライなのだ。

そのくせ、漱石のナントカ、などとという本を見るとつい読んでしまう。

漱石山脈などという言葉があるように、彼の周囲には彼を師と仰ぐ若者が集まっていた。木曜が面会日、と決めないと、仕事に差し支えるくらい、うじゃうじゃ集まった。

なんぼ洋行帰りの文学者だといって、40そこそこの若いヤツが、もっと若いヤツを集めて喜んでいる、そのことが不思議で興味深い。

こういう集まり方を女はしない。

男、それも若い男のすること、という感じがする。

集めたんじゃない、先生のご人徳を慕って集まったのだ、と言う人もあるかもしれないが、本人が嫌がってるのにそんなになるわけがない。

迷惑顔をしつつも内心では嬉しがり、余は苦しゅうないという態度であったればこそ、山をなすほど人が集まったんである。

師弟といっても何を習うでもない。若々しい野心と未熟な自尊心のまま、ただ集まって、各自の趣味やら失敗談やら、披露しては月旦している。

そんなわちゃわちゃ感、うだうだ感がよく出ているのがこの本。

せんせいとぼく
「先生と僕 ~夏目漱石を囲む人々~」

漱石門下が実名で登場し、それぞれに、大好きな先生に愛されたいと願いながら、仲良くしたりケンカしたりしている、その感じは男子高校生の集団とそう変わらない。

夏目漱石が49歳で亡くなったのが、ちょうど百年前の今日である。



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ブックガイド | コメント(10) | トラックバック(0) | 2016/12/09 11:38

ハナヨメ本。

ハナヨメ専用!ゴム手袋

点けっぱなしのテレビから、シンジラレナイ声が聞こえてきたので、聞き違いかとCMの雑誌を調べた。

ぜくしぃ2017 1
ゼクシィ関西 2017.1月号

あった!これだ!

はなよめごむて

《特別付録》
♥レース柄で可憐に♥
♥純真無垢な白が美しさを引き立てる♥
♥ピュアすぎる花嫁ゴム手袋♥
  (内容紹介原文ママ)

付録がゴム手袋というのもびっくりだが、さらに謎なのが、ハナヨメ専用!という点である。

写真を見ると、真っ白なおリボンもついており、たしかにウエディングドレスに似合いそうではある。

しかしなぜに披露宴でゴム手袋をはめる必要があるのだろうか。

真っ先に頭に浮かんだのは最初の共同作業、ケーキカットである。

巨大なケーキを切り分け、せっせとお皿にのせるためには、衛生上、ゴム手袋は必要であろう。

しかし、主役の花嫁が数十人ぶんのケーキの取り分けに忙殺される披露宴というのは、いかがなものか。

次に、ゴムという素材の面から考えてみる。

花嫁がふつう身につけるサテンの手袋ではなく、あえてゴムの手袋をはめる意味とは何か。

ドレスに化繊とウールを使っている場合、摩擦によって静電気の生ずる可能性がある。

冬場、空気の乾燥している季節、静電気の溜まった状態で花婿の手をとると、バチバチ火花が飛んで危険なので、絶縁の意味でゴム手袋をつけるのではないだろうか。

しかし、ゴム手袋をはめていたのでは、指輪の交換ができない。

なにより、晴れの結婚式に絶縁、というのは、ひじょうに縁起が悪い。

考えが行き詰ってしまったが、何事も、行き詰った時は初心に帰ることが肝要である。

ゴム手袋というのは食器を洗う時に使う。ということは、花嫁が食器を洗う場面を想定すればよい。

ここで昔、学生街の中華料理店で、よく目にしたハリガミを思い出した。

食後30分皿洗いすれば 食事代がタダ!

あれと同じことが披露宴会場でも行われているのではないだろうか。

フルコースの食事で使う食器の量は大変なものだ。

披露宴のあとの汚れたお皿やグラスを、花嫁自ら洗うと、披露宴代がタダ!

すごく大変そうだが、長い人生の旅路のはじまりで、あえて艱難辛苦を忍ぶ、というのは、悪くないスタートかもしれない。



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ブックガイド | コメント(8) | トラックバック(0) | 2016/11/29 11:01

アミモノ本。

朝夕が冷え込み、セーターなど着たくなる季節になった。

なぜか意外に思われることが多いが、私は編み物をする。( →あみもの話。

そろそろ何か編もうかな、と、本棚を探っていて、忘れていた編み物の本を見つけた。

いぬのせーたー
「Knitting with Dog Hair 」)

表紙にいきなり犬の写真があるから、犬に着せるセーターの編み方のようだが、そうではない。

この本は「犬の毛で編み物」、つまり犬の毛を使ってセーターを編む本なのである。

題名の下に書かれたサブタイトルが

会ったこともないヒツジより、愛犬の毛でセーターを!

納得するような、しないような。

てっきり冗談だろうと中を見ると、品質の良い犬毛を集める方法から、原毛の処理、糸紡ぎ、帽子、手袋、マフラー、セーターにカーディガン、あらゆる編み方が写真入りで載っている。

グレートピレニーズの帽子、ゴールデンレトリーバーのマフラーなどと、犬種の指定がある。

確かに、毛が硬かったり、フワフワしていたり、巻き毛だったり、種によって特色もあるのだろう、巻末に「犬種別毛質一覧」があるのが、親切である。

ペラペラとめくっていると、セーターを着たブルドッグの写真があった。犬自身のセーターも、ちゃんと載っているのだ。

自毛かと思えば、ニューファンドランド犬の毛で編め、というからおかしい。

おかしいけど、どこにも、なんにも、ふざけたところがない。

終始大マジメに、あなたも愛犬の毛で編み物しましょう!と訴えているが、この著者、自覚のないぶん、相当な変わり者だと思う。

しかし考えてみると、犬も飼ってないのに、こんな本を買って、読んで、喜んでいる私も、もしかしたら変わり者の部類かもしれない。



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ブックガイド | コメント(8) | トラックバック(0) | 2016/11/06 11:34

サシエノ本。

新聞小説や、文芸誌の連載が単行本にまとまった時、もったいないと思うことが一つある。

それは挿絵

だいたいの挿絵は、連載が終了すればお払い箱になる。

挿絵画家が表紙を任されることさえ稀で、出来上がった単行本には、もともとの挿絵の気配さえない。

出版業界はコミックエッセイとか文藝マンガとか中途半端なジャンルを続々と作るくせに、挿絵に冷淡すぎる、と、私はかねがね思っているのである。

いい挿絵は子供だけのものではない。

児童文学だけじゃなく、大人の本にだって、もっと挿絵があってもいいんじゃないか。

何も、バーンジョーンズやミュシャやビアズリーに出て来い、というのではない。

今の時代、もし中一弥や蕗谷虹児がいたとしても、それに釣り合う小説などないであろう。

軽妙で、現代的で、本文を邪魔せず、それでいて本の世界をふくらませるような挿絵があったらいいなあ、と思うのだ。

だいたい、今の人の書くものは薄味でイメージに乏しく、ペロッと1枚めくったらもう底がなく、広がらない。

挿絵があることによって、グッと面白くなる小説やエッセイが、ぜったいあるはずなのである。

挿絵といえばラノベの萌え絵、というのでは、あまりにも情けないではないか。

海外の本では、ペーパーバックでも挿絵が生き残っているものがけっこう多い。

それだけ、本文と挿絵が分かちがたく結びつき、互いを生かしているのだろう、と思う。

きかいたんていくりくろぼっと
(→「機械探偵クリク・ロボット」 しかしこのポケミスの表紙はなんとかならんのか)

この本の挿絵は著者が自分で描いているのだが、かわいくて、ぬけていて、とてもよかった。挿絵がなければこの小説の価値は半減することだろう。

一読を勧めたいが、またしても絶版である。



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ブックガイド | コメント(13) | トラックバック(0) | 2016/10/21 11:14

ユクエノ本。


(今回いささかバッチい話ですので、潔癖症の方、お食事中の方などはご注意ください)


今日は電車。

冷房も暖房もしない今の時期、吊革につかまって、のんびり窓からの風に吹かれる。

車内吊りの広告に気を取られて首を回したら、シンジラレナイものを見てしまった。

座席のはじっこにミョーにこじんまりと、ヒザをキチッと閉じて座り、本を読むサラリーマン風の若い男。

目は食いつかんばかりに活字を追いながら、人差し指をハナノアナにツッコんでいるではないか。

ここは家じゃねーぞ!そんでその指をどーする!

ヤツの動向から目が離せなくなった私は、さらにシンジラレナイものを見ることになる。

ヤツは…その指を…口に入れた!

ギャー!!!

あまりのことに動悸がする。

左右の人はスマホの画面に気を取られ、ヤツの行動には気付かない。

私の動揺も知らず、ヤツは口から出した指を再度鼻に入れ、その指をまた…(以下自粛)

不愉快だから見たくないのに、つい目をやってしまう。

無意識なのかなんなのか、この男、こんな癖をよく今まで、親にも誰にも直されずに来たものだ。

ヘンな風に感心していたら、ヤツがまた手を顔にやった。

今度はだ。目頭のところを、ウニウニと触っている。

今度はソッチか…

半ば覚悟していると、ヤツは目に触れた指をズボンの腿にクニクニとなすりつけ、本を持ち替えた。

ソッチは食わんのかーい!

声には出さねど、内心全力で叫ぶ私をよそに、ヤツはそそくさと降りる支度をしはじめた。

夢中で読んでいた本の表紙がちらりと目に入る。

わたしのゆくえ

「18歳から考える国家と『私』の行方」

国家の心配する前に、テメーの人差し指の行方を考えろ!と、強く思った私であった。



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ブックガイド | コメント(16) | トラックバック(0) | 2016/10/20 10:54
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