だらすけ話。

朝夕冷え込み始めたせいか、お腹の調子がよろしくない。お医者に行くほどではないので、クスリを飲んでおこう。

昔から、うちでお腹のクスリといえばダラスケである。

だらにすけがん

本来は陀羅尼助丸といい、まるで忍者映画の悪の親玉みたいな名前だが、じつに1300年以上前、修験道の開祖・役行者によって作られたといわれる、伝統ある和薬である。

実家では常に薬箱にあり、お腹が痛い、食べ過ぎて胃が重い、何か不調を訴えると

ダラスケ飲んどきなさい

なぜか厳粛な表情の父に言い渡されるのが常であった。

うちはあまり薬を飲まない家で、常備薬といえばダラスケと、母の頭痛薬くらいのものだった。

外用薬も似たようなもので、ダラスケの効かないケガや虫刺されなどは

オロナイン塗っときなさい

と片付けられた。

子供時代の私とイモートの身体は、外側はオロナイン、内側はダラスケで、だいたいなんとかなってきたのである。

仁丹より少し大きいくらいの小さい粒を、10粒入るサジですくう。

子供の頃は1杯で10粒だったが、今は2杯で20粒すくわなければならない。

白湯とともに口に含んだ途端、思わずウッと唸る苦さは、昔も今も同じだが

ダラスケ飲んどきなさい

と、重々しく言い渡してくれる声は、今は無い。

湯呑にお湯を注ぎながら、誰にともなく

…ダラスケ飲んどきなさい…

と、つぶやいてみた。



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むかしむかし | コメント(14) | トラックバック(0) | 2017/09/04 11:30

8.20話。

カレンダーを見たら、胸が痛いようなドキンとするような、妙な気持ちになった。

8月20日

それは50代の人なら、1度は気にしたことがあるはずの、会社訪問解禁の日、である。

今はどうなっているのか知らないが、30年ほど前には就職協定というものがあった。

デキる学生を他に先駆けて確保したい企業と、学業がおろそかになるのを恐れる大学が協定を結び、採用開始時期を決めていたのだ。

そこで決まっていたのが、 8月20日会社訪問開始、11月1日内定解禁の、2つの日付。

しかし、抜け駆けは人の世の常であって、企業と学生は春先から水面下で交渉を持ち、8月を待たずにほとんどの学生に内定が出る。青田買いというやつだ。

大っぴらに会社訪問できる8月20日は、実質的な内定式であって、すでに採用の決まった会社を形式的に訪問する日なのだ。

…とまあ、こんなことはどこにも書いていない、全部まことしやかに語られる口コミなのだった。

今のようにネット情報が豊富に採れる時代ではない。

学生たちは誰が言いだしたかわからない「常識」に振り回され、右往左往した。

そんな中、8月20日という日付だけが、刻み付けられたように、唯一動かないものだった。

就職活動は学業とは違い、努力したから良い、一定の点数をとればよい、というものではない。

何が基準なのか、誰のルールで戦うのか、わからないままに、選ばれるのを待つ不安と焦燥

経験したことのない緊張を強いられた、暑く長い数か月であった。

学生時代の試験の夢を、大人になっても見る、というお話はたまに聞くが、私の場合は試験じゃなく、8月20日なのだ。

新卒で入った会社は出産で辞めてしまったが、毎年この日が来ると、暑かったあの夏が、蘇る。

しゅうかつのいめーじ
(就活関連の写真の若者はなぜ皆ジャンプしているのか)



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むかしむかし | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/08/20 11:30

きせいの話。

朝の団地に響くガラガラガラ…という音。

洗濯物を干す手を止めて、手すり越しに下を見たら、中年の夫婦がキャリーバッグを引いて行く。

お土産らしい紙袋を提げているから、旅行じゃなくて、田舎に帰るのだろう。

昔は私も、あんなふうに帰省した。

はじめは1人で、次は夫婦で、それから子供を連れて。

小さい子供を2人連れ、荷造り戸締り、留守中心配の無いよう、家を出るのはなかなかに大変だ。

冷蔵庫の中身は、鉢植えの水やりはどうするか、新聞は…考えることがいっぱいある。

キップを確かめ、駅の雑踏の中、気の散る子供を叱咤激励して、ギリギリに改札を通り、やっとの思いで指定席に腰を下ろす。

額の汗が冷房で冷えはじめて、列車がすべるようにホームを離れる。

ああ、夏休みがはじまった

大人としての日常を後に残して、子供のころ住んだ街に戻る。

それは一瞬の錯覚なのだけれど、まるで自分が子供に戻れるような、あの解放感は忘れられない。

今、ささやかな終の棲家に1人いて、実家は目と鼻の先。

帰省ラッシュのニュースを見ては、大変だねえと他人事でいながら、あの頃がちょっと懐かしい。

今度は私の家に、ムスメとムスコが帰省してくる。

きせいらっしゅ



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むかしむかし | コメント(4) | トラックバック(0) | 2017/08/04 11:30

はなびの話。

夕飯どきも過ぎたのに、妙に外が騒がしい。

ふだんならこの時間には聞こえないはずの、子供の声がする。しばらくして

どん! どんどん!

重い遠い音が聞こえた。

花火大会だ。

はなび

毎年隣県で行われるこの花火大会が、通路や階段からよく見えるのを、知ってる人は知っていて、団扇を手にしてけっこうな数、集まっていた。

こうしてたまたま見る以外、わざわざ花火を見に出かけたことはない。

そう思っていたのだが、ふと記憶をたどって、もう何十年も前の、あの日の花火を思い出した。

大学生のころ、付き合っていた彼氏は北陸出身。

夏休みに遊びに来ないかと誘われ、のこのことついていった実家には、当然ながらご両親がいた。

無口なお父さんとおとなしいお母さんには、歓迎されているのかいないのかサッパリわからないが、来てしまったものはしかたがない。東京に行った弟の部屋に泊めてもらうことになった。

彼氏の案内で近所を散策して、帰ると夕飯の時間だ。

つけ醤油の表面にさっと脂が広がるようなお刺身を、私はその時はじめて食べたのである。

美味しくてビックリしている私を、お父さんもお母さんも、ニコニコして見ていた。

お風呂をいただいてワンピースに着替え、扇風機に当たっていたら、お父さんが彼氏に言った。

今日 花火があるやろう 連れてやったらどうやぁ

そうやったのぅ 行くか?

すっかり地元のイントネーションに戻った彼氏が、のんびりと尋ねた。

お母さんのツッカケを借りて、2人でブラブラ海辺まで歩き、堤防に腰かけて待った。見物客らしい姿も見えるが、混雑とは程遠い。

いきなり、天を掛け替えたように一面の花火が広がる。

何も言えなくて、ただ変わっていく光の色を見ていた。

やがてかすかな火薬のにおいが、海風に運ばれて、暗い水面をすべってきた。

これが私の、唯一の花火大会の思い出である。



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むかしむかし | コメント(16) | トラックバック(0) | 2017/07/30 11:55

にもつの話。

ランドセルの小学生が、絵の具のケースらしいものと、上履き袋を提げている。

ああ、終業式だ。夏休みだ。今日で学校が終わりなんだ。

長い休みの前はいろいろ持ち帰らなければいけないから、どうしても荷物が多くなる。

この子の荷物は少なめだから、きっと体操着なんかは昨日、予め持ち帰ったのだろう。クレバーなタイプである。

ここで、引きずるほどの大荷物を提げて、泣き泣き帰った思い出があればいいのだが、残念ながら私はそういう子供ではなかった。

まず1週間前には、机の中の不要なものは捨て、使わないものはランドセルに入れて持ち帰る。

習字道具や絵の具や色鉛筆は、休み前、最後の図工や書道の授業が済んだら、終業式を待つことなく、すかさず持って帰るのだ。

終業式の日には、ガラガラのランドセルに、通信簿と夏休みの友だけを入れて帰った。

多すぎてにっちもさっちもいかない子の荷物を、恩着せがましく持ってあげたりもする。

われながら子供らしさのない、にくたらしいガキである。大荷物でヨタヨタ帰る友だちを見ては、

バッカじゃないの?

と思っていた。

ところが、そんな私が育てたムスメとムスコは、そろってクレバーの反対であった。

終業式ともなれば、肩にかけられるものは全部かけ、持てないものはランドセルにしばりつけ、植木鉢を抱えて、ヨタヨタ帰ってくる。

持ちきれずに引きずるものだから、いつも手提げの底にはが開いていた。

タダイマー!

暑さに顔を真っ赤にして、ようよう家に着いた子供が、玄関に荷物を投げ出す。

そんな風に始まった夏休みも、今は遠いことになった。

なつやすみのとも



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むかしむかし | コメント(10) | トラックバック(0) | 2017/07/21 11:30
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