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ぽっとの話。

父はお茶飲みだったので、実家では魔法瓶と急須がいつも卓上に出ていた。

私も今より頻繁に緑茶を飲んでいたと思う。

昔はどこの家にもあったのが押すポット

2おすぽっと

実家の卓上にあったのも、若きマツサカケイコ嬢がおすすめしているこれだ。

その日も私は急須に湯を注いでいた。

適量で手を止め、急須のフタを取って、まったく自然、かつ無意識に、気づけば急須のフタポットの上にのせていた。

きゅうすのふた    1おすぽっと

鍋でも何でも、用が済めばフタをする。お湯を出したポットにも、何かのせたくなったのだろう。

急須のフタを頭に乗っけたポットは、ちょっぴり恥ずかしそうで、かわいらしかった。

何十年も前の、ほんの些細なことだけど、あの時のポットを、今もなぜか思い出す。

そして、その度になんとなく微笑んでしまう。

急須もポットも、命のない物体なのに、そうして私のことを、いつも元気づけてくれる。

 

本日早朝より他出のため、2014年10月5日の記事を再掲載いたします。



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むかしむかし | コメント(11) | トラックバック(0) | 2020/10/05 11:30

なぞなぞ話。

母は歌うお母さんだったので、娘の私は、年相応より古い歌を、習い覚えて育った。

日本語の歌ならまだいいのだが、大昔、ラジオから流れた曲を、耳で覚えたらしき外国語の歌は、まるでだった。

… ♪ けいせら~せら~ われ~ば~いるび~ いるび~ ♪ …

のちにヒチコック映画を観て、ドリス デイの「Que sera, sera」と知った(→ せらせら話。)が、そんなのは例外だ。

むしろ、謎に包まれたままの歌のほうが多い。

ホウキを持った母が、廊下で左右にステップを踏みながら、よく歌っていた

… ♪ イスタンブー コンスタンチノープー イスタンブー コンスタンチノープー ♪…

この歌は、中学校の地理でトルコの首都を習ったとき、なるほどと思ったものだ。

トルコといえば

… ♪ ウースクダーラー ギーダーリーケン アウダラビリヤンムー ♪…

この歌を歌う母は、流し目の思わせぶりな表情を作り、手を不思議な具合にくねらせていた。

意味は分からないながら、何かエキゾチックなものを感じ取ったのを覚えている。

ちなみに続きは

… ♪ カーティビーミン セトリシウーズー エテーギーカームー ♪ …

というのだが、意味不明なことに変わりはない。

三つ子の魂百までなどと言うが、子供の記憶力はまことに恐ろしいものである。

おまけに今、こんなふうに昔の記憶をたどっていたら、

… ♪ クアンドセ キェーロメ チャチャチャ トーボケターバリ ナーバイラー ♪ …

さらに正体不明の歌が、陽気なラテンのリズムとともに浮かんできて、困っている。





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むかしむかし | コメント(18) | トラックバック(0) | 2020/09/11 11:30

くらげの話。

父は結婚が遅かったので、長女の私は、35歳で生まれた。

育児は女の仕事という昔ニンゲンなうえ、その頃日本は高度成長期、サラリーマンがモーレツに働いていた時代。

朝は子どもの寝ているうちに出て行き、帰りは子どもが寝たあと。土曜日だって仕事がある。

おとーさんに遊んでもらう」なんてめったにないし、父親は親しみ深い存在じゃなかった。

それでも夏休みはみんなで海に出かけた。

「二十四の瞳」とオリーブの島小豆島の民宿が気に入って、何年か続けて行っていた。

家庭的な宿だが、部屋のもうすぐそこが海で、着替えてすぐ飛び出し、一日中遊ぶ。

すこし時期が遅かったのか、クラゲの多い年があった。

刺されたらすぐ水道水で洗えば、ウソのように痛みは引くのだが、何度も刺されてイヤになった私とイモートは、砂浜でふてくされていた。

すると、海の中に立っている父が、おーいと何か合図している。つかみ出すようにして、大きなモーションで何かを投げてよこした。

砂浜に、不思議なゼリーのようなものがボテンと落ちた。

クラゲだ。動くこともできず、カサを裏返しにひっくりかえっている。

チクチクと不快な目に遭わせるものの、情けない正体を見て、私たちはコーフンした。

やっつけよう!クラゲ退治だ!

父が投げてよこすクラゲを、熱い砂に埋める。それだけのことに、暗くなるまで熱中した。娘たちはずいぶん小さかったし、父も若かった。

世の中が落ち着く頃には、父は初老を過ぎていた。気づけば父は「おじーちゃん」だった。

ずーっとそうだった気がするが、おじーちゃんにだって若い父親のときはあったのだ。

海の中に立ち、つかんだクラゲを高く高く掲げて見せた、父はもういない。

あの時の父は、今の私よりずっと年下だったんだな、などと思う、夏の終わり。

おくりび
(今年は奈良の大文字送り火も縮小で実施された)



本日多忙のため2014年8月20日の記事を再掲いたします。



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むかしむかし | コメント(12) | トラックバック(0) | 2020/08/20 11:30

けいかく話。

先週、京都五山の送り火が、何者かによって勝手に灯される騒ぎがあった。

数十分にわたって、離れた街なかからも、大文字の形に光る電灯を確認できたらしいから、かなり大掛かりの悪戯である。

関係者は驚き、怒り心頭だというが、私はとくに驚かない。やりおったなという感じである。

それというのも、この手の悪戯は、京都の学生の間で、定期的に話題になるからだ。

はるか昔、送り火見物にかこつけた、学生たちの屋上ビールパーティー。

点々と文字を描く火を見ながら、誰かが言った。

ねーねー、あの大の字の右肩のとこにさ、松明を持って立ったら どうかな?

右肩?…あー、イヌモンジ!

ござんおくりび2

こういうことね。

それよりさ あの大の字の足の間にさ…

ハハ…フトモンジ!

ハハハ… バカ―!

ござんおくりび3

松明は危ないから、焚火はどうか。見つからないよう近づくには…毎回、計画は盛り上がるが、もちろん実行に移すことはない。

しょせん無責任な若者の、口だけの戯事である。

しかし今年、どこかの誰かが、計画を計画で終わらせなかったのだ。

それは、新型ウィルスの影響で、送り火で図形や字を描くのが中止されたことと、きっと無関係ではないだろう。

2020年の、五山の送り火。

「大切な人のため、送り火は家から」を合言葉に、規模を大幅に縮小し、今夜点火される。

(→五山送り火 公式サイト



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むかしむかし | コメント(6) | トラックバック(0) | 2020/08/16 11:30

えいとの話。

昔、子供向けのガムの包み紙が、シールになっていることがあった。

ペタンと貼るステッカーではない。

裏紙を剥がすと、透明のセロハンにマンガの絵柄がついており、それを貼りたいものにあてがってこする、転写タイプのシールである。

うちではガムを買ってもらえること自体あまりなく、ガムのシールは貴重品扱いだった。

宝物の箱にしまい、時々取り出しては並べてみる。

シールを筆箱やノートの表紙にのせてみたりもしたが、じっさいには貼らない。

母はそういうことにはたいへん厳しく

お勉強のものにシールを貼ってはいけません!

言われて忠実に従っていた。

貼るものだけど貼ってはならないシール。その矛盾を思うには、私はあまりに幼かった。

かわいいマンガの絵柄の縁に書かれた

うら紙をとり、セロファンの上をていねいにこすってはがしてね!

この注意書きを何度読んだことだろう。

あれはちょうど今ごろ、夏休みに入ってしばらくした時分だった。

楽しみな家族旅行にはまだ間があり、休みにも少しダレて、退屈した私は、宝箱の中身を出して、しまいなおすという作業を始めた。

合間合間に、宝物を1つ1つじっくり眺めていると

うら紙をとり、セロファンの上をていねいにこすってはがしてね!

見慣れた注意書きが、その日はことのほか誘惑的に見えたのだ。

ああ、うら紙をとり、セロファンの上をていねいにこすってはがしたい!

強い衝動に駆られつつ、優等生の私は、叱られるのは嫌だった。

母の目を盗んで、学習机の下にもぐり込む。

机の脚の裏の、普通では目につかない死角の部分に、ドキドキしながらセロファンをあてがい、爪でこすった。

貼ったシールは、エイトマン

エイトマンが好きだったわけではなく、持ってるシールの中ではどうでもいい補欠だったからだ。

なにしろはじめてだから、失敗の可能性も考えて、たいせつなウサギちゃんやお姫様のシールを使わなかったのは、いかにも私らしい。

4日、エイトマンの作者、桑田次郎氏が亡くなった。

シールは露見したのだか、どうだったか。学習机もとうの昔に処分して、もう無い。

えいとまん
(主題歌を歌ってみたら全部歌えたので、自分でも驚いた)



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むかしむかし | コメント(18) | トラックバック(0) | 2020/08/06 11:30
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