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こどもの話。

いつも伺うブログ(→とっしーのつれづれ)で、懐かしい電車のレポートを拝見した。

阪堺電車(はんかいでんしゃ)は、大阪の南部を走る路面電車。

チンチン電車と呼ばれ、明治以来、100年以上親しまれてきた市民の足である。

ずいぶん昔、今ごろの季節のこと。

誰とどこへ向かっていたか、サッパリ思い出せないが、その日私は阪堺電車のシートの上にいた。

春休みのお出かけらしい家族連れで、車内はほどほどに混んで

…××@@%%%…!

座席に膝立ちになって窓の外を見ながら、5、6才の男の子が何か言っている。

電車が好きなのだろう、ウキウキと肩を揺らして楽しそうだ。

2人も産んどいてナンだが、私は子供が苦手だ。若かったその時はなおさら

チッ うるっせえな…

しかめっ面をしたい気持だった。

…××@@%%%…!

それにしても、この子は何を連呼しているのだろう。柄にもなく興味が湧いて、耳を澄ますと

…んかいのっても…電車

ん?

なんかいのってもはんかい電車

ああ!

何回乗っても阪堺電車!

ときどきお母さんの方を振り返る顔には、嬉しくてたまらない表情がいっぱいに浮かんでいる。

男の子って バカでかわいいなァ

はじめてそんなことを、思った気がする。

その数年後に、自分が子供を持つなんて、思いも及ばなかったころ。

あの日も、今日のような花曇りだった。

はんかいでんしゃ



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むかしむかし | コメント(3) | トラックバック(0) | 2023/03/28 11:30

のらいぬ話。

ちょうど今頃の季節だったろう、良く晴れた日曜の朝。

タバコを切らして買いに出た父が、帰ってきたと思うと

オイ…オイ…

お勝手にいる母を呼んだ。前掛けで手を拭き拭き、茶の間に顔を出した母に

しばらく 子供らを出すな

父はムッとした顔で告げた。

え?なんでですの?

いぶかしげな母に、父曰く

表の道で 野良犬がつるんどる…

まァいやだ!

母が顔をしかめてチラッと私のほうを見たので、マンガに熱中して聞こえない風を装う。

父は父で、子供にはわかるまいと思ったようだが、残念!私はちょっとマセていた。

犬もネコも、自由にうろついていた時代のこと。

今、若いきれいなお嬢さんが

○ちゃんとは 高校のころからつるんでて~

などとおっしゃるのを耳にすると、意味が違うと知りつつ、ギョッとしてしまう私である。

のらいぬ



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むかしむかし | コメント(6) | トラックバック(0) | 2023/03/19 11:30

いめるだ話。

かつて私は日本のイメルダと呼ばれていた。むろん権力者の妻だったわけではない。

履かない靴を山と持っていただけである。

いめるだ

マラカニアン宮殿の靴置場よりはるかに狭い部屋に、箱に入った新品の靴が何足も何足も。

バブル期、関西OLの靴は、原色の革にラインストーン、スパンコール。イナズマパンプスの異名を取るほど、それはそれはハデだった。

ハデな靴を手に取れば、宝箱を開けるみたいにヨロコビが湧いて、それだけで元気が出る。

洋服は試着しないといけないが、靴はサイズさえ見れば買えるというのもいい。

パッと買うと、スッと爽快な気持になった。

その日、仕事に疲れた私は、大阪OL御用達のブティックオーサキという靴屋さんに、またしてもフラフラと入り込んでいた。

すると店の奥、ひときわ派手なパンプスの並ぶ一角に、非日常的な髪型で、たった今パーティーを抜けてきたようなドレスの人が、靴を見ている。

イメルダ マルコス!?

誰あろう、ミワアキヒロその人であった。

髪を黄色くする前だった。普通の人じゃない感じはしたが、特別なオーラはなかったと思う。

ただ顔がものすごくでっかい!と思ったのを覚えている。

ほどなくバブルが崩壊し、仕事もヒマになって、むやみに靴を買うのもやめた。

あの頃の靴は、どれもこれもみんな、年月の狭間に消えてしまった。



本日早朝より他出のため、2014年3月14日の記事に加筆のうえ再掲載いたします。



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むかしむかし | コメント(4) | トラックバック(0) | 2023/03/14 11:30

でんぽう話。

私鉄の急行で隣県へ。

ポカポカと暖かな日差しに、眠くなりだしたころに、その駅を通過した。

でんぽうえき

デンポウ、というちょっと変わった名前の駅を降りたことは無いし、友人知人にも、ここにご縁のある人はいないけれど

デンポウの星…か…

小さくつぶやいてみた。

今から50年ほど昔、まだ海外旅行が珍しかった時代。

ハイカラ爺さんの祖父は、出始めのJALパックで、嬉々としてあちこちへ出かけた。身の回りの面倒を見るため、祖母もシブシブついていく。

そのころは、ただの観光旅行でも、海外に行くというと餞別を贈ったり、見送りに行ったりした。

わが一族もその例にもれず、子から孫から、雁首揃えてわざわざ空港までお見送りに行った、あれはパリのときか、ハワイのときか。

満面の笑顔の祖父と渋面の祖母が、添乗員に連れられて出発口に消えたあと、デッキに上がると、そこには我々同様、見送りの人が集まっていた。

広々した飛行場の景色はすばらしかったが、それよりも気になったのは、手製の横断幕を広げた騒がしい一団だった。

あんなもの 飛行機の窓から見えるんだろうか?

子供の目にも疑わしく思えた、手書きの文字を

伝法の星 何野何某君
 ガンバッテ来いよ!


字配りまでもありありと思い出せるし

デンポウって何?

しばし考え込んだのも覚えている。

地名であると知ったのは、かなり後のこと。

何野何某君が、彼らの期待通り故郷に錦を飾ったかどうかは、今もわからない。



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むかしむかし | コメント(6) | トラックバック(0) | 2023/03/13 11:30

つうじぬ話。

外国人観光客も、ずいぶん戻ってきた。

改札を通ろうとしたら、見上げるような背の高い人が、窓口の駅員さんに何か言っている。

困っているならお手伝いしようかと、それとなく耳を澄ましたら

…なんですけど どっちが早いですかね?

私なんかよりよっぽど流暢な日本語だったから、ホッとしてホームへの階段へ向かう。

この20年ほどの間に、日本語ができる人は増えたなあと思う。

私が在外生活を送ったのは、30年ほど前。

SNSやインターネットの普及以前で、日本文化に興味を持つ人はぽつぽつ出始めたものの、日本語を学ぶ人はまだ少なかった。

病院で、カルテに書いたムスメの名前を見て

マンガの○○と同じね!

アニメ好きな若い看護師さんが、話しかけてくれたこともあった。日本に興味があると言いつつ、日本語はわからないらしい。

緑の瞳とバラ色の頬の彼女は、絵本のお姫様のようで、ムスメは注射が怖いのも忘れ、ポーッと見とれていた。

次の通院日。

注射器を手に、われわれ母子を迎えたのは、魔女めいたおばあさんのナースだった。

泣きわめくムスメに、優しく、辛抱強く

怖いのね~ 大丈夫よ~ すぐ終わるからね~

声をかけながら、手早く注射を済ませてくれたが

きれいなおねえさんがいいの~!

ムスメがずっと叫んでいた日本語が、彼女に通じなかったことは、まったく幸いであった。

きれいなおねえさん



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むかしむかし | コメント(12) | トラックバック(0) | 2023/02/28 11:30
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