トリテキ本。
いつも拝見しているレツゴー一匹さんのブログの記事(→わたし日々、おもうこと。)で、鬢付け油の香りに春の訪れを感じる、とあった。
相撲といえば春、というのは、大阪ならではの、めでたい感覚である。
私の通った高校の近くにも、相撲部屋の合宿所があって、春先にはよく力士の姿を見かけた。
おそらく練習…いや、稽古の行き帰りであったのだろう、汗っぽい乱れ髪の彼らは、鬢付けの香る力士、というより、普通の若者らしく見える。
むっくり太って、浴衣を裾短に着た様子は、ちょっとかわいらしい。
中学を出てすぐ入門して、自分と同年配の男の子が、厳しい勝負を戦っているのだ、と想像して、勝手に親近感を持ったりした。
友人に遅れて、ひとり帰途に就いたある日。
先を行く仲間に追いつこうと、小走りで角を曲がったら
うわっ!
思わず声が出た。
若い力士に、いきなり出くわしたのだ。
遠目に見たのと違い、目前に迫る鍛えた肉体は、巨大で、圧倒的で、おそろしかった。
むっくりしてかわいいなんてとんでもない、彼らは最強の戦士なのである。
後年、夜道を力士に追われるという不条理な小説を読んだときは、その怖さがひしひしと迫って
あのとき まだコレを読んでなくてヨカッタ!
もし小説のイメージが先にあったら、私は出合い頭、気絶していたかもしれない。

(「走る取的」新潮文庫「メタモルフォセス群島」所収)

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相撲といえば春、というのは、大阪ならではの、めでたい感覚である。
私の通った高校の近くにも、相撲部屋の合宿所があって、春先にはよく力士の姿を見かけた。
おそらく練習…いや、稽古の行き帰りであったのだろう、汗っぽい乱れ髪の彼らは、鬢付けの香る力士、というより、普通の若者らしく見える。
むっくり太って、浴衣を裾短に着た様子は、ちょっとかわいらしい。
中学を出てすぐ入門して、自分と同年配の男の子が、厳しい勝負を戦っているのだ、と想像して、勝手に親近感を持ったりした。
友人に遅れて、ひとり帰途に就いたある日。
先を行く仲間に追いつこうと、小走りで角を曲がったら
うわっ!
思わず声が出た。
若い力士に、いきなり出くわしたのだ。
遠目に見たのと違い、目前に迫る鍛えた肉体は、巨大で、圧倒的で、おそろしかった。
むっくりしてかわいいなんてとんでもない、彼らは最強の戦士なのである。
後年、夜道を力士に追われるという不条理な小説を読んだときは、その怖さがひしひしと迫って
あのとき まだコレを読んでなくてヨカッタ!
もし小説のイメージが先にあったら、私は出合い頭、気絶していたかもしれない。

(「走る取的」新潮文庫「メタモルフォセス群島」所収)

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エイゴノ本。
はじめて1冊通して読んだ英語の本は、高校の授業の教材。
主人公は、田舎の村に住む、仲良い2人の少年。1人は農家の、1人は漁師の息子である。
貧しくとも平和な彼らの村を、ある日大きな災害が襲う。家族を失い、生き残った漁師の息子が、たくましく育ち、やがて親友の妹と結婚して一家を構えるまでを描いた作品だ。
もともと子供向けらしく、文字数も少ない、薄い本だった。
英語の先生がこの本を選んだ理由は、おそらくは舞台が日本であったためだろう。
生徒たちが親近感を持って読むのでは、という、かすかな期待があったのではないか。
結論から言えば、目論見は大外れであった。
まず、主人公の少年たちの名前。
農家の息子がキノ、漁師の息子がジヤというのである。
最初の授業でヘンテコな名前が読み上げられると
え… 日本人なんでしょ…?
生徒は当惑し、教室はザワザワした。
アメリカ人の作者が、何を思ってこの名前に決めたのかわからないが、ハリウッド映画で、眼鏡をかけ、前歯が2枚飛び出した「ジャップ」を見た時のような幻滅を感じた。
人というものは、いったん違和感を持つと、あとはアラ探しになるものである。
キノがミソスープを飲んでも、ジヤが道でおじいさんに挨拶しても、玄関で深々お辞儀をしても、ヘンな感じが、ずっとなくならない。
合間合間に、西洋人が東洋的だと思っているアレ
じゃ~ん!
というドラの音が聞こえるようで、話に入り込めないのだ。
なじみのある事柄も、英語で説明すると、知らないことを言われた気がするが、そんなことも作用したかと思う。
生意気盛りの生徒らは、薄笑いでこの本を読み、和訳し、ノートに書いた。
「THE BIG WAVE」の作者は「大地」を書いたパール バック(1892.6.26-1973.3.6)。
従来取り上げられることの少ない作品だったが、東北の震災以来、改めて読まれているという。
時機を得て、良い翻訳で読んでいれば、印象が違っただろうと思うと、とても残念である。

「つなみ THE BIG WAVE」
パール・S・バック (著), 黒井 健 (イラスト), 径書房刊
著者の没後50年に際し、2017年11月5日の記事を再掲載いたします。

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主人公は、田舎の村に住む、仲良い2人の少年。1人は農家の、1人は漁師の息子である。
貧しくとも平和な彼らの村を、ある日大きな災害が襲う。家族を失い、生き残った漁師の息子が、たくましく育ち、やがて親友の妹と結婚して一家を構えるまでを描いた作品だ。
もともと子供向けらしく、文字数も少ない、薄い本だった。
英語の先生がこの本を選んだ理由は、おそらくは舞台が日本であったためだろう。
生徒たちが親近感を持って読むのでは、という、かすかな期待があったのではないか。
結論から言えば、目論見は大外れであった。
まず、主人公の少年たちの名前。
農家の息子がキノ、漁師の息子がジヤというのである。
最初の授業でヘンテコな名前が読み上げられると
え… 日本人なんでしょ…?
生徒は当惑し、教室はザワザワした。
アメリカ人の作者が、何を思ってこの名前に決めたのかわからないが、ハリウッド映画で、眼鏡をかけ、前歯が2枚飛び出した「ジャップ」を見た時のような幻滅を感じた。
人というものは、いったん違和感を持つと、あとはアラ探しになるものである。
キノがミソスープを飲んでも、ジヤが道でおじいさんに挨拶しても、玄関で深々お辞儀をしても、ヘンな感じが、ずっとなくならない。
合間合間に、西洋人が東洋的だと思っているアレ
じゃ~ん!
というドラの音が聞こえるようで、話に入り込めないのだ。
なじみのある事柄も、英語で説明すると、知らないことを言われた気がするが、そんなことも作用したかと思う。
生意気盛りの生徒らは、薄笑いでこの本を読み、和訳し、ノートに書いた。
「THE BIG WAVE」の作者は「大地」を書いたパール バック(1892.6.26-1973.3.6)。
従来取り上げられることの少ない作品だったが、東北の震災以来、改めて読まれているという。
時機を得て、良い翻訳で読んでいれば、印象が違っただろうと思うと、とても残念である。

「つなみ THE BIG WAVE」
パール・S・バック (著), 黒井 健 (イラスト), 径書房刊
著者の没後50年に際し、2017年11月5日の記事を再掲載いたします。

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ネコノヒ本。
ある年のクリスマスにもらった1冊の本。
それはイギリスの田舎町に住む、動物の言葉を話す獣医さんのお話(→ドリトル本。)だった。
風変わりな設定を淡々と描く筆致と特徴ある挿絵に、私は夢中になった。
惜しみ惜しみ読んでも、あっという間に終わったお話の続きを求めて本屋に行くと、嬉しいことに全部で13巻もある。
それからはお誕生日に1冊、お年玉で1冊と買いそろえ、おいしい水を飲むように読み進んだ。
犬やアヒル、チンパンジーやブタと、個性豊かな動物がたくさん登場するうちに、疑問がひとつ。
ネコが出てこないのである。
ネコの居ない国の話ではない。登場人物のひとりは、飼猫のエサ売りを生業としている。
にもかかわらず、獣医の先生の周りには、親しく名前を呼ばれるネコは1匹もいないのだ。
ネコを目の敵にする犬や、ネコに追われるネズミやカナリヤといった小動物が出入りする、という事情はあるかもしれない。
うちではネコを飼っていたから、作者はネコが嫌いなのかしらと、子供心にちょっぴり寂しかったのを覚えている。
物語も終盤、先生はなんと月旅行に乗り出す。
地球で留守番の動物たちが、待ちに待った帰還を出迎えると、その懐には月の猫がいた。
先住の動物に気味悪がられ、嫌われても気にかけることなく、はじめての地球を、光る眼で眺め、音のしない柔らかな足裏で歩き回る。
長い長いこの物語で、ネコが注目された、唯一のシーンである。
危険を冒してはるばるやってきたにもかかわらず、その後このネコに関してさしたるエピソードはない。そんなところも、なんだかネコらしい。

(「ドリトル先生月から帰る」 ロフティング著 井伏鱒二訳)

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それはイギリスの田舎町に住む、動物の言葉を話す獣医さんのお話(→ドリトル本。)だった。
風変わりな設定を淡々と描く筆致と特徴ある挿絵に、私は夢中になった。
惜しみ惜しみ読んでも、あっという間に終わったお話の続きを求めて本屋に行くと、嬉しいことに全部で13巻もある。
それからはお誕生日に1冊、お年玉で1冊と買いそろえ、おいしい水を飲むように読み進んだ。
犬やアヒル、チンパンジーやブタと、個性豊かな動物がたくさん登場するうちに、疑問がひとつ。
ネコが出てこないのである。
ネコの居ない国の話ではない。登場人物のひとりは、飼猫のエサ売りを生業としている。
にもかかわらず、獣医の先生の周りには、親しく名前を呼ばれるネコは1匹もいないのだ。
ネコを目の敵にする犬や、ネコに追われるネズミやカナリヤといった小動物が出入りする、という事情はあるかもしれない。
うちではネコを飼っていたから、作者はネコが嫌いなのかしらと、子供心にちょっぴり寂しかったのを覚えている。
物語も終盤、先生はなんと月旅行に乗り出す。
地球で留守番の動物たちが、待ちに待った帰還を出迎えると、その懐には月の猫がいた。
先住の動物に気味悪がられ、嫌われても気にかけることなく、はじめての地球を、光る眼で眺め、音のしない柔らかな足裏で歩き回る。
長い長いこの物語で、ネコが注目された、唯一のシーンである。
危険を冒してはるばるやってきたにもかかわらず、その後このネコに関してさしたるエピソードはない。そんなところも、なんだかネコらしい。

(「ドリトル先生月から帰る」 ロフティング著 井伏鱒二訳)

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チョットノ本。
小文や記事のカテゴリに「ちょっといい話」というのがある。

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(↑はい、これです)
雑誌の見出しに「○○のちょっといい話」などとあるのを、見たことがおありだろう。
この、ごく普通に思える言い回しに原典があるのをご存じだろうか。
その著者を、最初に知ったのは推理小説。
小説誌の批評欄で、クイーンの「Xの悲劇」と並んで、「日本のドルリー レーン」と紹介されていたのをきっかけに、作品を手に取った。
シェイクスピア俳優のドルリー レーンに対し、こちらはなんと歌舞伎の名優、中村雅楽が探偵役をつとめる。
歌舞伎の演目や梨園のしきたりなどもやさしく解説してあり、歌舞伎の世界を活写した連作を、門外漢の私も楽しく読んだ。
こんな小説を書けるのはどんな人だろう?
興味が湧いて、エッセイや演劇批評などにも手が伸びた。中の1冊がこれである。

(「ちょっといい話」戸板康二著 文藝春秋刊)
幅広い交友を基に、文壇・芸能・スポーツ、学界・政財界におよぶ人物の逸話をまとめたもので、当時はかなり好評を博したらしい。
大仰に言い立てるほどではないが、あの人がこんなことを、と、聞けばフッと嬉しくなる。
そうしたエピソードを「ちょっといい話」と表したのだ。
何気ないようで、なかなかできる表現ではない。
戸板康二(1915.12.14-1993.1.23)は、演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。
探偵雅楽が忘れられ、戸板の名を聞かなくなり、残るのはちょっといい話、というのは、ちょっとさびしい話、のような気もする。

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雑誌の見出しに「○○のちょっといい話」などとあるのを、見たことがおありだろう。
この、ごく普通に思える言い回しに原典があるのをご存じだろうか。
その著者を、最初に知ったのは推理小説。
小説誌の批評欄で、クイーンの「Xの悲劇」と並んで、「日本のドルリー レーン」と紹介されていたのをきっかけに、作品を手に取った。
シェイクスピア俳優のドルリー レーンに対し、こちらはなんと歌舞伎の名優、中村雅楽が探偵役をつとめる。
歌舞伎の演目や梨園のしきたりなどもやさしく解説してあり、歌舞伎の世界を活写した連作を、門外漢の私も楽しく読んだ。
こんな小説を書けるのはどんな人だろう?
興味が湧いて、エッセイや演劇批評などにも手が伸びた。中の1冊がこれである。

(「ちょっといい話」戸板康二著 文藝春秋刊)
幅広い交友を基に、文壇・芸能・スポーツ、学界・政財界におよぶ人物の逸話をまとめたもので、当時はかなり好評を博したらしい。
大仰に言い立てるほどではないが、あの人がこんなことを、と、聞けばフッと嬉しくなる。
そうしたエピソードを「ちょっといい話」と表したのだ。
何気ないようで、なかなかできる表現ではない。
戸板康二(1915.12.14-1993.1.23)は、演劇・歌舞伎評論家、推理作家、随筆家。
探偵雅楽が忘れられ、戸板の名を聞かなくなり、残るのはちょっといい話、というのは、ちょっとさびしい話、のような気もする。

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カレーノ本。
土曜の朝はチコちゃん。
カレーの匂いをかぐと カレーが食べたくなるのはなぜ?
そういえば、以前はよく、お隣の夕飯の匂いにつられてカレーを作ったな。(→しんくろ話。)
あれも実は、身体がカレーを欲していたのか。
ホントかァ?と検証の結果に首を傾げつつ、また別のことを考えた。
カレーの匂いをかいで、カレーだと分かるのは、カレーを食べたことがあるからだ。
しかし世界には、カレーを知らない人が、われわれの想像以上にたくさんいるらしい。
日本人の奥さんが、アパートの台所でカレーを作ったら、ガス漏れ騒ぎになった、という話を、何かで読んだ気がする。
カレーの刺激的な香りが、ガスの臭いと間違われてしまったというのだ。
どこの国の話だっただろうか。
英国にはインド料理屋がたくさんあり、カレーのテイクアウトは中華と同様親しまれているから、英国ではないだろう。
どうにも気になって書棚を探しにいった。
女性の随筆という手掛かりだけで、引っぱり出しちゃめくり、眺めては戻しても、見つからない。
けっこうな時間が経って、あきらめかけたとき。
書名を見て、これは違う、といちばん最初に横に置いた1冊をなんとなくめくったら

(「英国コミュニティ・ライフ」森嶋瑶子著 岩波書店刊)
あった。
英国在住の筆者が、イタリアに長期滞在したときのエピソードだった。
イタリアの田舎では、カレーの匂いはガスくさいと思われてしまうみたいだ。
それにしても、彼我の文化や生活感覚の差に深い考察を加えた、いい本なのに、カレーのことしか覚えていないのには、我ながら呆れる。

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カレーの匂いをかぐと カレーが食べたくなるのはなぜ?
そういえば、以前はよく、お隣の夕飯の匂いにつられてカレーを作ったな。(→しんくろ話。)
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ホントかァ?と検証の結果に首を傾げつつ、また別のことを考えた。
カレーの匂いをかいで、カレーだと分かるのは、カレーを食べたことがあるからだ。
しかし世界には、カレーを知らない人が、われわれの想像以上にたくさんいるらしい。
日本人の奥さんが、アパートの台所でカレーを作ったら、ガス漏れ騒ぎになった、という話を、何かで読んだ気がする。
カレーの刺激的な香りが、ガスの臭いと間違われてしまったというのだ。
どこの国の話だっただろうか。
英国にはインド料理屋がたくさんあり、カレーのテイクアウトは中華と同様親しまれているから、英国ではないだろう。
どうにも気になって書棚を探しにいった。
女性の随筆という手掛かりだけで、引っぱり出しちゃめくり、眺めては戻しても、見つからない。
けっこうな時間が経って、あきらめかけたとき。
書名を見て、これは違う、といちばん最初に横に置いた1冊をなんとなくめくったら

(「英国コミュニティ・ライフ」森嶋瑶子著 岩波書店刊)
あった。
英国在住の筆者が、イタリアに長期滞在したときのエピソードだった。
イタリアの田舎では、カレーの匂いはガスくさいと思われてしまうみたいだ。
それにしても、彼我の文化や生活感覚の差に深い考察を加えた、いい本なのに、カレーのことしか覚えていないのには、我ながら呆れる。

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