ヨメナイ本。
私は絶版の文庫本を買い集める癖がある(→ケサレタ本。)。
買った本はもちろん、読む。
若いころから、読むのは速いほうだ。時間をかけて味わいたい本では、1日に読む頁数を決めたり
ゆっくり… ゆっくり…
読み終わるのが惜しくて、自分に言い聞かせたり。
やっと手に入れた絶版文庫、じっくり読みたいのはたしかだが、それにしてもはかどらない。
読んでいると眠くなり
…バタリ
手から本を取り落して
ハッ!
はじめて気づく体たらくである。
絶版になるような作品は、やはりつまらないのか。

いや違う、字が小さいのだ。
くわえて古い本は紙が黄ばんでいるので、字と紙の色の差が曖昧で、より読みにくくなる。
新しい本と比べてみれば、その差は明らか…

アレ?思ったほど明らかじゃないな。写真が暗いせいかな。
そういえばこのごろ、新刊書を読んでも、昔ほど速く読み進めない気がする。
これってもしかして本のせいじゃなくて、老眼…いや老化?

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

買った本はもちろん、読む。
若いころから、読むのは速いほうだ。時間をかけて味わいたい本では、1日に読む頁数を決めたり
ゆっくり… ゆっくり…
読み終わるのが惜しくて、自分に言い聞かせたり。
やっと手に入れた絶版文庫、じっくり読みたいのはたしかだが、それにしてもはかどらない。
読んでいると眠くなり
…バタリ
手から本を取り落して
ハッ!
はじめて気づく体たらくである。
絶版になるような作品は、やはりつまらないのか。

いや違う、字が小さいのだ。
くわえて古い本は紙が黄ばんでいるので、字と紙の色の差が曖昧で、より読みにくくなる。
新しい本と比べてみれば、その差は明らか…

アレ?思ったほど明らかじゃないな。写真が暗いせいかな。
そういえばこのごろ、新刊書を読んでも、昔ほど速く読み進めない気がする。
これってもしかして本のせいじゃなくて、老眼…いや老化?

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

スポンサーサイト
ケサレタ本。
前から探している絶版文庫本がある。

(消された男 フレドリック ブラウン著 創元推理文庫)
シリーズ物のサスペンス小説で、全7作のうちの6作目。
シリーズの他の作品が、同じく絶版でも数百円から、せいぜい3千円までなのに、どういうわけかこれだけが、やけに高価なのだ。
古書には往々にして、こういう謎の価格差があって、内容の面白さとは必ずしもリンクしない。
むしろ、評判が悪くて部数が出なかったもののほうが高かったりする。
ウーン どうしよっかな~
古書店のサイトで検索をかけつつ迷っていたら、ふと妙なことに気がついた。
エジソン、北斎、ダーウィン、ニュートン、島津斉彬、シャクルトン。
誰も知る、歴史上の人物たちだ。中でもシャクルトンはやや知名度で劣るが、南極探検隊を率いた探検家である。
彼らの共通点は、誰かを消したこと。
ナンノコッチャとお思いだろう。探している本の書名が「消された男」。
それを検索すると「ダレソレに消された男」というのがわんさと引っかかり、上記の人名は、すべてこのダレソレの部分に入る。
「エジソンに消された男」「ニュートンに消された男」「斉彬に消された男」といった具合だ。
どうやら歴史作家のお好みの表現であるらしい。
それにしても、これだけの男が消したり消されたりしているとは、殺伐たるものである。
ちなみに、北斎に消されたのは鍬形蕙斎(くわがた けいさい)、ダーウィンが消したのは、ロバート フックという人であるようだ。

にほんブログ村

日記・雑談ランキング


(消された男 フレドリック ブラウン著 創元推理文庫)
シリーズ物のサスペンス小説で、全7作のうちの6作目。
シリーズの他の作品が、同じく絶版でも数百円から、せいぜい3千円までなのに、どういうわけかこれだけが、やけに高価なのだ。
古書には往々にして、こういう謎の価格差があって、内容の面白さとは必ずしもリンクしない。
むしろ、評判が悪くて部数が出なかったもののほうが高かったりする。
ウーン どうしよっかな~
古書店のサイトで検索をかけつつ迷っていたら、ふと妙なことに気がついた。
エジソン、北斎、ダーウィン、ニュートン、島津斉彬、シャクルトン。
誰も知る、歴史上の人物たちだ。中でもシャクルトンはやや知名度で劣るが、南極探検隊を率いた探検家である。
彼らの共通点は、誰かを消したこと。
ナンノコッチャとお思いだろう。探している本の書名が「消された男」。
それを検索すると「ダレソレに消された男」というのがわんさと引っかかり、上記の人名は、すべてこのダレソレの部分に入る。
「エジソンに消された男」「ニュートンに消された男」「斉彬に消された男」といった具合だ。
どうやら歴史作家のお好みの表現であるらしい。
それにしても、これだけの男が消したり消されたりしているとは、殺伐たるものである。
ちなみに、北斎に消されたのは鍬形蕙斎(くわがた けいさい)、ダーウィンが消したのは、ロバート フックという人であるようだ。

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

トリテキ本。
いつも拝見しているレツゴー一匹さんのブログの記事(→わたし日々、おもうこと。)で、鬢付け油の香りに春の訪れを感じる、とあった。
相撲といえば春、というのは、大阪ならではの、めでたい感覚である。
私の通った高校の近くにも、相撲部屋の合宿所があって、春先にはよく力士の姿を見かけた。
おそらく練習…いや、稽古の行き帰りであったのだろう、汗っぽい乱れ髪の彼らは、鬢付けの香る力士、というより、普通の若者らしく見える。
むっくり太って、浴衣を裾短に着た様子は、ちょっとかわいらしい。
中学を出てすぐ入門して、自分と同年配の男の子が、厳しい勝負を戦っているのだ、と想像して、勝手に親近感を持ったりした。
友人に遅れて、ひとり帰途に就いたある日。
先を行く仲間に追いつこうと、小走りで角を曲がったら
うわっ!
思わず声が出た。
若い力士に、いきなり出くわしたのだ。
遠目に見たのと違い、目前に迫る鍛えた肉体は、巨大で、圧倒的で、おそろしかった。
むっくりしてかわいいなんてとんでもない、彼らは最強の戦士なのである。
後年、夜道を力士に追われるという不条理な小説を読んだときは、その怖さがひしひしと迫って
あのとき まだコレを読んでなくてヨカッタ!
もし小説のイメージが先にあったら、私は出合い頭、気絶していたかもしれない。

(「走る取的」新潮文庫「メタモルフォセス群島」所収)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

相撲といえば春、というのは、大阪ならではの、めでたい感覚である。
私の通った高校の近くにも、相撲部屋の合宿所があって、春先にはよく力士の姿を見かけた。
おそらく練習…いや、稽古の行き帰りであったのだろう、汗っぽい乱れ髪の彼らは、鬢付けの香る力士、というより、普通の若者らしく見える。
むっくり太って、浴衣を裾短に着た様子は、ちょっとかわいらしい。
中学を出てすぐ入門して、自分と同年配の男の子が、厳しい勝負を戦っているのだ、と想像して、勝手に親近感を持ったりした。
友人に遅れて、ひとり帰途に就いたある日。
先を行く仲間に追いつこうと、小走りで角を曲がったら
うわっ!
思わず声が出た。
若い力士に、いきなり出くわしたのだ。
遠目に見たのと違い、目前に迫る鍛えた肉体は、巨大で、圧倒的で、おそろしかった。
むっくりしてかわいいなんてとんでもない、彼らは最強の戦士なのである。
後年、夜道を力士に追われるという不条理な小説を読んだときは、その怖さがひしひしと迫って
あのとき まだコレを読んでなくてヨカッタ!
もし小説のイメージが先にあったら、私は出合い頭、気絶していたかもしれない。

(「走る取的」新潮文庫「メタモルフォセス群島」所収)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

エイゴノ本。
はじめて1冊通して読んだ英語の本は、高校の授業の教材。
主人公は、田舎の村に住む、仲良い2人の少年。1人は農家の、1人は漁師の息子である。
貧しくとも平和な彼らの村を、ある日大きな災害が襲う。家族を失い、生き残った漁師の息子が、たくましく育ち、やがて親友の妹と結婚して一家を構えるまでを描いた作品だ。
もともと子供向けらしく、文字数も少ない、薄い本だった。
英語の先生がこの本を選んだ理由は、おそらくは舞台が日本であったためだろう。
生徒たちが親近感を持って読むのでは、という、かすかな期待があったのではないか。
結論から言えば、目論見は大外れであった。
まず、主人公の少年たちの名前。
農家の息子がキノ、漁師の息子がジヤというのである。
最初の授業でヘンテコな名前が読み上げられると
え… 日本人なんでしょ…?
生徒は当惑し、教室はザワザワした。
アメリカ人の作者が、何を思ってこの名前に決めたのかわからないが、ハリウッド映画で、眼鏡をかけ、前歯が2枚飛び出した「ジャップ」を見た時のような幻滅を感じた。
人というものは、いったん違和感を持つと、あとはアラ探しになるものである。
キノがミソスープを飲んでも、ジヤが道でおじいさんに挨拶しても、玄関で深々お辞儀をしても、ヘンな感じが、ずっとなくならない。
合間合間に、西洋人が東洋的だと思っているアレ
じゃ~ん!
というドラの音が聞こえるようで、話に入り込めないのだ。
なじみのある事柄も、英語で説明すると、知らないことを言われた気がするが、そんなことも作用したかと思う。
生意気盛りの生徒らは、薄笑いでこの本を読み、和訳し、ノートに書いた。
「THE BIG WAVE」の作者は「大地」を書いたパール バック(1892.6.26-1973.3.6)。
従来取り上げられることの少ない作品だったが、東北の震災以来、改めて読まれているという。
時機を得て、良い翻訳で読んでいれば、印象が違っただろうと思うと、とても残念である。

「つなみ THE BIG WAVE」
パール・S・バック (著), 黒井 健 (イラスト), 径書房刊
著者の没後50年に際し、2017年11月5日の記事を再掲載いたします。

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

主人公は、田舎の村に住む、仲良い2人の少年。1人は農家の、1人は漁師の息子である。
貧しくとも平和な彼らの村を、ある日大きな災害が襲う。家族を失い、生き残った漁師の息子が、たくましく育ち、やがて親友の妹と結婚して一家を構えるまでを描いた作品だ。
もともと子供向けらしく、文字数も少ない、薄い本だった。
英語の先生がこの本を選んだ理由は、おそらくは舞台が日本であったためだろう。
生徒たちが親近感を持って読むのでは、という、かすかな期待があったのではないか。
結論から言えば、目論見は大外れであった。
まず、主人公の少年たちの名前。
農家の息子がキノ、漁師の息子がジヤというのである。
最初の授業でヘンテコな名前が読み上げられると
え… 日本人なんでしょ…?
生徒は当惑し、教室はザワザワした。
アメリカ人の作者が、何を思ってこの名前に決めたのかわからないが、ハリウッド映画で、眼鏡をかけ、前歯が2枚飛び出した「ジャップ」を見た時のような幻滅を感じた。
人というものは、いったん違和感を持つと、あとはアラ探しになるものである。
キノがミソスープを飲んでも、ジヤが道でおじいさんに挨拶しても、玄関で深々お辞儀をしても、ヘンな感じが、ずっとなくならない。
合間合間に、西洋人が東洋的だと思っているアレ
じゃ~ん!
というドラの音が聞こえるようで、話に入り込めないのだ。
なじみのある事柄も、英語で説明すると、知らないことを言われた気がするが、そんなことも作用したかと思う。
生意気盛りの生徒らは、薄笑いでこの本を読み、和訳し、ノートに書いた。
「THE BIG WAVE」の作者は「大地」を書いたパール バック(1892.6.26-1973.3.6)。
従来取り上げられることの少ない作品だったが、東北の震災以来、改めて読まれているという。
時機を得て、良い翻訳で読んでいれば、印象が違っただろうと思うと、とても残念である。

「つなみ THE BIG WAVE」
パール・S・バック (著), 黒井 健 (イラスト), 径書房刊
著者の没後50年に際し、2017年11月5日の記事を再掲載いたします。

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

ネコノヒ本。
ある年のクリスマスにもらった1冊の本。
それはイギリスの田舎町に住む、動物の言葉を話す獣医さんのお話(→ドリトル本。)だった。
風変わりな設定を淡々と描く筆致と特徴ある挿絵に、私は夢中になった。
惜しみ惜しみ読んでも、あっという間に終わったお話の続きを求めて本屋に行くと、嬉しいことに全部で13巻もある。
それからはお誕生日に1冊、お年玉で1冊と買いそろえ、おいしい水を飲むように読み進んだ。
犬やアヒル、チンパンジーやブタと、個性豊かな動物がたくさん登場するうちに、疑問がひとつ。
ネコが出てこないのである。
ネコの居ない国の話ではない。登場人物のひとりは、飼猫のエサ売りを生業としている。
にもかかわらず、獣医の先生の周りには、親しく名前を呼ばれるネコは1匹もいないのだ。
ネコを目の敵にする犬や、ネコに追われるネズミやカナリヤといった小動物が出入りする、という事情はあるかもしれない。
うちではネコを飼っていたから、作者はネコが嫌いなのかしらと、子供心にちょっぴり寂しかったのを覚えている。
物語も終盤、先生はなんと月旅行に乗り出す。
地球で留守番の動物たちが、待ちに待った帰還を出迎えると、その懐には月の猫がいた。
先住の動物に気味悪がられ、嫌われても気にかけることなく、はじめての地球を、光る眼で眺め、音のしない柔らかな足裏で歩き回る。
長い長いこの物語で、ネコが注目された、唯一のシーンである。
危険を冒してはるばるやってきたにもかかわらず、その後このネコに関してさしたるエピソードはない。そんなところも、なんだかネコらしい。

(「ドリトル先生月から帰る」 ロフティング著 井伏鱒二訳)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング

それはイギリスの田舎町に住む、動物の言葉を話す獣医さんのお話(→ドリトル本。)だった。
風変わりな設定を淡々と描く筆致と特徴ある挿絵に、私は夢中になった。
惜しみ惜しみ読んでも、あっという間に終わったお話の続きを求めて本屋に行くと、嬉しいことに全部で13巻もある。
それからはお誕生日に1冊、お年玉で1冊と買いそろえ、おいしい水を飲むように読み進んだ。
犬やアヒル、チンパンジーやブタと、個性豊かな動物がたくさん登場するうちに、疑問がひとつ。
ネコが出てこないのである。
ネコの居ない国の話ではない。登場人物のひとりは、飼猫のエサ売りを生業としている。
にもかかわらず、獣医の先生の周りには、親しく名前を呼ばれるネコは1匹もいないのだ。
ネコを目の敵にする犬や、ネコに追われるネズミやカナリヤといった小動物が出入りする、という事情はあるかもしれない。
うちではネコを飼っていたから、作者はネコが嫌いなのかしらと、子供心にちょっぴり寂しかったのを覚えている。
物語も終盤、先生はなんと月旅行に乗り出す。
地球で留守番の動物たちが、待ちに待った帰還を出迎えると、その懐には月の猫がいた。
先住の動物に気味悪がられ、嫌われても気にかけることなく、はじめての地球を、光る眼で眺め、音のしない柔らかな足裏で歩き回る。
長い長いこの物語で、ネコが注目された、唯一のシーンである。
危険を冒してはるばるやってきたにもかかわらず、その後このネコに関してさしたるエピソードはない。そんなところも、なんだかネコらしい。

(「ドリトル先生月から帰る」 ロフティング著 井伏鱒二訳)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング
