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びにーる話。

食品庫に、ずうっと入っているものがある。

さんどうぃっちばっぐ

サンドウィッチを入れるビニール袋。

ちょうど食パンが入るサイズで、300枚入り1ドル29セントの値札がついている。

40年以上前、アメリカ駐在の叔父に同行した叔母が、時々プレゼントを送ってくれた。

英語の絵本、お人形、チョコレートなど、心弾む品々の中に、なぜか一つ混じっていたのがこの箱なのだ。

いとこたちのお弁当に使っていたものを、スキマを詰めたのかもしれない。

しかし、私たち日本の小学生にはお弁当箱というものがある。

このビニール袋は一枚も使われないまま、長く実家の物入れに死蔵されてきた。

その後どういうわけか、結婚して所帯を構えた私の家に、この箱はやってきた。

そしてその家庭が壊れ、たくさんの所帯道具を処分して今の家に来た時も、なぜかこの箱は捨てられずについてきた。

元来私は、モノはゆくたてに拘らずに処分できるほうで、いつか使うかも…と取っておく人の気がしれない、と思っている。

そんな私の荷物の中に、よくぞ紛れ込んでいたものだ。

一昨日職場で、オオウチさんが、手で四角を作りながら寄ってきた。

こんくらいのビニール袋がいるのよね~

バザーで使うのだが、200枚以上必要なので、けっこう高くつくな~、などと言っている。

その時、思い出した。マンガなら頭上に大きな電球の絵が出るところである

ある!うちにあるよちょうどそういうの!

週明けに持って行って、オオウチさんに差し上げることになった。

ビニール袋の行き先が、ついに決まって感無量なのと同時に、いつか使うかも…が成就した時の、スゴイ快感を知った私である。

さんどうぃっちばっぐ2
(サンドウィッチバッグの使用法)



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むかしむかし | コメント(12) | トラックバック(0) | 2015/10/31 10:31

もにたー話。

某社の健康茶のモニターに選ばれた。

詳細は避けるが、1か月間支給されたお茶を飲み、その後、体調に関するアンケートに答える。

宅配便で届いたお茶をさっそく淹れてみた。

ヤカンで煮出すと、初めてなような、嗅いだことがあるような、独特のニオイが立ちのぼる。

少し冷ましてから飲むと、なんだか薄らマズくて、そして何かに似ている…。

けっして飲食物ではない、何か…。

スーッとする、でもミントとは違う、このニオイ…。

…分かった!ショウノウ

それも、ショウノウそのものではなく、ショウノウが入った引き出しのニオイだ。

昭和の家のタンスのニオイ。

ふるいたんす

そう思って健康茶のパックを見ると、何か木屑のようなモノが入っている。

古いタンスを、ショウノウもろとも粉砕して、お茶にしたんじゃないだろうな。

薬でないものを薬だと信じて飲み、症状が改善することを、プラセボ効果という。

逆に、効能のある(であろう)健康茶を、古タンスのエキスではないかという疑惑を持ちつつ飲んだら、どうなるのだろう。

モニターの結果に影響するのではないかと心配だ。

さらに私を憂鬱にするのは、この古タンスエキスを、あと1か月飲み続けねばならない、という事実である。



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もろもろ | コメント(12) | トラックバック(0) | 2015/10/30 09:54

まめなえ話。

私は園芸全般が苦手だ。

ブログの記事のきれいなお花、新鮮なお野菜の写真を、羨望のまなざしで見ている。

おばーちゃん曰く、一家を構えたら、ネギの根っこくらい、植えておくのは主婦のタシナミだとか。(→ たしなみ話。

そのデンで行けば、主婦のカザカミにも置けない私だが、先日、ふと魔がさした。

豆苗(とうみょう)ってご存知だろうか。

エンドウ豆の芽を野菜として食するのだが、タネや根の部分を水栽培すると、また芽が出てきて食べられるのである。

捨てるものがまた食べられる、というのが、私のケチ心を刺激したのだが、やってみると存外にうまく行く。

何の世話もしないのに、チラチラと芽が出、ヒロヒロと茎が伸びてくる。

とうみょう

窓辺に小さな緑の森があるようで心が和み、頬杖をついて見ていると飽きない。

よくよく見ると、細いつるを出して、どこかに巻き付いて伸びていこうとしているではないか。

うう、カワイイ!なんてイジラシイの!

生活に潤いが生まれたのはいいことだが、ここに一つ困ったことが出来した。

冷静になるとこの豆苗、もういい加減切って食べないといけない。

こんなにわさわさ可愛く茂っているのに!

おそらく一昨日あたり食べごろだったと思うが、グズグズ引き延ばして今日になってしまった。

大好きなお魚を美味しく食べているさかなクンって、偉いなあとあらためて思う。



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もろもろ | コメント(16) | トラックバック(0) | 2015/10/29 09:40

かめむし話。

取り込んだ洗濯物に、何か五角形のものがくっついている。

ひっ!

声にならない悲鳴を上げつつ、そおっとシャツを持ち上げ、ベランダに出る。

柵の外でシャツを振ると、小さなものがコツンと落ちていく手ごたえがあった。

カメムシである。

公平に見れば、カメムシだって虫の一種に過ぎない。

セミのように不愉快な声で鳴くわけでも、ナメクジのように這った跡を残すわけでもない。

とびかかってきたり、刺したりもしない。いつでも静かに止まっているだけである。

甲の部分はなかなか凝った小紋柄で、見ようによっては美しいと言えなくもない。

それなのになぜ、見ただけでまがまがしいまでにイヤな気分になるのか。

カメムシには何か気がしれないところがある。

そもそもナニユエ洗濯物なんぞに止まるのか。そしてそこでジッとして、取り込まれるままになっているのか。

きゃつらはいつの間にか網戸のこちら側に止まっていたり、観葉植物の葉にいて、そこで何をするでもなく、ジッとしている。

人知れず忍び寄る、潜む、という悪意のようなものが、そこにある。

たとえるなら、仕掛けられた盗聴器を見つけたような感じである。

そしてなんと言っても、悪臭を持っているというポテンシャル。

実は私はカメムシのニオイを嗅いだことがない。

きゃつらは悪臭を放つらしいという知識だけで、その存在自体を忌み嫌っているのである。

なんによらず好奇心の強い私だが、ことカメムシのニオイに関しては、知りたいとは思わない。

このまま知らずにいたいと強く願うものである。

とうちょうきはっけんき
(盗聴器…じゃなくてカメムシ発見器が欲しい)



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もろもろ | コメント(22) | トラックバック(0) | 2015/10/28 10:28

あしうら話。

調子に乗ってウラの話を続ける。

肘や膝のウラが弱い私であるが、何を隠そう足のウラも弱い。

長いこと海水浴にも行かないが、夏の砂浜では、砂利の粒は痛し、焼けた砂は熱し、一歩ごとにアチチ、イタタと大騒ぎである。

アンデルセンの童話で、声と引き換えに人間の足を得た人魚姫は、一足歩くごとに刺すような痛みをこらえなければならなかった。

陸に上がった人魚姫、それがワタクシである。

温泉施設に行くと、健康の道などと称するとんでもない場所がある。

あしつぼろーど
(埋め込んだ小石が足つぼを刺激するらしい)

健康を求める皆さんが列をなし、嬉々として利用されている。

しかし私にとっては、健康の道どころか地獄の針のムシロである。

人生も半ばを過ぎ、もはやあきらめ気味ではあるが、それにしてもなぜこうもいろんなところが軟弱なのだろうか。

ツラの皮は厚いのにねえ、などと言ってはならない。



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もろもろ | コメント(10) | トラックバック(0) | 2015/10/27 10:31

ひざうら話。

肘のウラが弱い私であるが、じつは膝のウラも弱い。

はるか昔、小学生の頃。

小学生には、体育という難行苦行がある

マット運動も跳び箱もかけっこも等しく苦手な私だが、とりわけユーウツなのは鉄棒

一番イヤなのは足掛け回りである。

膝のウラに鉄棒をはさみ、ぶら下がるだけでもう痛くて痛くて、長くは我慢できない。

回れないなりにがんばってぶら下がって、それでもポテンと落ちてしまった私は、ひとり足元の砂場に座り、足を鉄棒にかけてクルクル回るお友だちを見上げた。

他の子は、あんなに簡単そうにやっているのに。

みんないったいどんな丈夫な膝のウラをしてるんだろう。

鉄棒が得意なチエちゃんとユキちゃんは、並んで競い合うようにグリングリンと回り続ける。

二人を見上げた目の先には、今日と同じように高く澄んだ、秋の空が広がっていた。

ひざのうらにてつぼう
(小学生時代なら羨望のマト)


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むかしむかし | コメント(12) | トラックバック(0) | 2015/10/26 10:30

ひじうら話。

週末の買いもの。

さて夕飯は何にするか、売り場を見回す。

買いものカゴを提げ、雑踏のさなかに呆然と突っ立つ私は

誰か、助けてくださーい!

という、はなはだ頼りない趣である。

もう50も過ぎたイイ年なのに、イマイチこういう時の型が決まらない。

奥様らしい奥様のお買いもの姿と自分を見比べ、理由を考えた。

奥様方は、カゴを肘にかけ、空いた手を頬に当てて、憂いを含んだ思案顔。それでこそ

お夕飯、どうしようかしら…

という、奥様らしい雰囲気が漂うのである。

ボーッとカゴを提げ、足を肩幅にひろげて、ずどんと立つのがいけない。カゴを提げて売り場のただ中に立ち止まるから

誰か、助けてくださーい!

と、途方に暮れたデクノボーになってしまうのだ。

真似てみたいが、できない理由は、肘のウラが痛くなるからである。

肘のウラは、採血ができるほど皮膚が薄くデリケートな部分のはずなのに、お買いものでいっぱいのカゴをかけて、痛くないのだろうか?

見回せば、私の半分くらいの弱々しいオバアサンさえ、ダイコンや牛乳の入った重そうなカゴを肘にかけて、粛々と買いものをなさっている。

もしかしたら、プロの主婦の肘のウラには、かたいカゴかけダコがあるのだろうか?

身体の他の部分は年齢なりに老化しているのに、肘のウラだけが少女のように初々しいなんて、なんだかバカバカしいし、情けない。

かいものかごにいれる
(ポチッとする買い物なら肘は痛くならない)



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もろもろ | コメント(10) | トラックバック(0) | 2015/10/25 10:36

マンボウ本。

数が多いことを、私はつい「ゴマンとある」などと言ってしまう。

両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。

考えてみたら、どうやら子供の頃読んだ「どくとるマンボウ」シリーズの影響のようだ。

どくとるまんぼう

(「どくとるマンボウ航海記」 中公文庫)

その頃筆者は、既にその文名を馳せ、ベストセラー「どくとるマンボウ」は文庫化されていた。

小遣いの乏しい中学生は、それすら易々とは買えず、古本屋の50円均一棚を探しに探した。

何がそんなに面白かったのだろう、いうならばいちびる以外の笑わせ方を知った、ということだろうか。

いちびる、というのは、関西弁で「図に乗ってふざける」という意味である。

学校のどのクラスにも、面白い、と言われる子は必ずいて、皆を笑わせている。

すっとんきょうな発言や、こっけいな表情、度を超えた悪ふざけ。

いちびりと呼ばれるそんな同級生につい笑わされながらも、人を笑わせるなんてあんまり立派なことじゃないと思っていた。

しかしどくとるマンボウはいちびらない。

何しろインテリでお医者さまで、偉大な歌人を父親に持つ芥川賞作家なのである。

教養があって、上品で、終始大マジメなのに、なおかつオモシロイ。

中学生の私はその不思議に驚き、新しい感覚に目を開かれた思いだった。

残念なことにその後筆者は躁病期に入り、どくとるマンボウもいちびり始めたので、いつしか興ざめして、新刊は読まなくなった。

小さな田舎の古本屋に通って集めた初期の文庫本も、いつの間にか散逸して手元にはもう無い。

今日で筆者北杜夫の没後4年になる。



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ブックガイド | コメント(12) | トラックバック(0) | 2015/10/24 10:39

えきべん話。

昨日は時代祭を記事にしたが、それにつけても思い出すのは、あの時のお弁当である。

バイトの子全員にあてがわれる弁当だから、オカズも贅沢ではなく、野菜や乾物の煮〆に、かまぼこ、お漬物、そんな感じだったが、それがよかった。

京料理というと、マッチ箱ほどのかたまりを高そうなお皿の真ん中にのせ

ナントカのカントカ焼きでございます…

とすまして差し出してくるアレではなく、名前もついてないような、普段のオカズばかり。ほとんどお精進なのに、しみじみかみしめたくなるほどおいしかった。

おそらくは地元業者の仕出しだったろう。もう食べられないと思うと、よけいに記憶に残る。

私にはもう食べられないお弁当がもう一つある。

10年ほど前までは、地元関西を離れていたので、長い休みには、新幹線に乗って帰省した。

実家では家族でくつろぎ、昔の友達に会い、あっという間に帰る日になってしまう。

名残を惜しむ帰りの新幹線に、必ず買って乗り込んだのがこのお弁当。

すいりょうけんのはっかくべんとう
(→ 水了軒 八角弁当

ちまちまといろんなオカズが詰められていて、何がどうということはないのだが、食べているとだんだんいい気分になってくる。

美味しいお弁当の条件は温めたくならないこと。食べている間に

これ、レンジでチンしたら美味しいだろうな~

と、ちょっとでも思ったらダメなのだ。

その点でもこのお弁当は満点であった。

その後私は地元に戻ったため、休みごとに新幹線に乗ることもなくなった。

もちろん駅まで行けば同じお弁当は売っているのだけど、それは何か違うのだ。

窓の外を流れ去る風景に、次の休みまでサヨナラ、と心の中で言いながら箸を動かすのでなければ、あの味ではないような気がする。

地元に帰れたことは嬉しいけれど、あのお弁当の味はちょっぴり懐かしい。



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もろもろ | コメント(4) | トラックバック(0) | 2015/10/23 10:48

めがねの話。

大学時代はいろんな単発バイトをしたが、地味な裏方や工場労働ばかり。

「中華総菜販売・チャイナドレス着用」の募集に、胸をふくらませて(注・比喩表現)行ったら、体型をチェックされたうえ、着用を免除されてしまったこともある。(→ ばいとの話。

そんな私にも、表舞台に立つチャンスが訪れた。

京都の大学生には、祭りのエキストラという特権的なバイトがある。

馬に乗って歩くような主だった役割は、ゆかりのある人から選ばれるが、その他大勢は学生バイトでまかなわれていた。

たとえ端役でも時代装束を着られて、そのうえ時給をもらえるなんてステキすぎる。

掲示板を見た私は、ちょうど休講の教室からブラブラ出てきた同級生を誘い、面接に出かけた。

いつも地味なチェックのシャツに銀縁メガネのミヤザワ君は裏方でいいや、と言い、帰国子女のエミリちゃんは、着物を着てみたいとウキウキしている。

簡単な面接であっという間に採用が決まり、それぞれ持ち場に振り分けられた。

エミリちゃんは英語に堪能なので、外国人観光客にパンフレットを販売することになり、裏方希望のミヤザワ君のほうが、時代装束で行列に加われと言われた。

そして私は、またしても事務室詰めである。

当日はバイトの名簿管理や弁当の手配、パンフ販売の釣銭を数えるなど、雑務に忙殺された。

沿道に観客が集まり始めると少しヒマになったので、休憩がてら行列を見に出ると、スネを出し、素足にゾウリを履いたその他大勢の中に、ミヤザワ君を見つけた。

装束は意外に似合っているが、いつもの銀縁メガネがそのままだ。

ミヤザワ君!

メガネメガネ、と指さすしぐさをしてみせたら、ハッとしたミヤザワ君はメガネを外したが、外したメガネの行き先に困り、着物の打ち合わせの部分にひっかけてしまった。

芸能人がよくサングラスでやっているあの状態。

しゃつにめがね

おかしい!そのほうがおかしいよ!

必死で呼びかけたが、行列はしずしずと進みはじめ、ミヤザワ君はそのまま行ってしまった。

表舞台には出られなかったが、支給のお弁当がおいしかった時代祭、今年は、本日。

じだいまつり




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むかしむかし | コメント(8) | トラックバック(0) | 2015/10/22 09:55
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