こめとぐ話。
人によって、キライな家事があるものだ。
料理がキライな人。料理は苦にならないのに、後片付けが苦手な人。
アイロンがけをするくらいなら、死んだほうがマシだ!という人もいる。
私はいつの頃からか、お米を研ぐのがイヤだった。
どうしてもできない、というわけではない。
お米をいれたボウルに蛇口から水を入れ、手を突っ込んでぐるぐる回す。お米をこぼさないように、研ぎ汁だけ流し、水を入れ替えて、また研ぐ。
無心に単純作業をしているつもりが、心の底の底のどこかに、濁った感情がのろのろと流れ、周囲を汚していくのを感じる。
研ぎ汁が透明になり、お米をお釜にセットする時には、その流れは止まって、次にお米に手を入れるまで、小さな負の感情は忘れられてしまう。
忘れては思い出す、そんなことを日々、何度も何度も繰り返して、ある日ふと気づいた。
私、お米を研ぐのがイヤなんだ!
ごはんを炊くのは家事担当者にとってなかなかに重要な作業である。
それがイヤだとなると、家族の食生活に支障をきたすのではないか、と危惧したが、そんな私にとって本当にけっこうなものがあった。
無洗米である。
気になる人はさっとすすいでもよいが、とにかく研がずに水加減がすぐできるという、画期的な商品。
以来うちでは無洗米しか買わないが、おかげで生活が100ワットくらい明るくなった気がする。
子供の頃、最初のお手伝いらしいお手伝いは、お米を研ぐことだった。
その頃は、めんどくさいとは思っても、イヤだった記憶はない。お米の間を指が通る感触も、濁ったとぎ汁がだんだん透き通っていくのも、楽しかった。
結婚して、子供ができ、小さかった子供を踏み台にのせて、並んでお米を研いだこともあった。
コツンと思い当たるのは離婚の前後である。
夫婦の空気が不穏になり、家の中は寒くなり、愛情があるのか憎いのか、わからない夫のために、それでも食事を用意する日々。
決定的な言葉をいつ言われるか、背後に冷え冷えした気配を感じながら、冷たい水に手を入れる。
力を入れてかき回すと、研ぎ汁が濁り、心が濁る。
もうずっと昔のことに思えるが、水を張ったボウルに向かうと、あの日々がよみがえるのかもしれない。
先日、お友だちが、銘柄米の新米をくれた。
ごく自然にボウルに入れ、水を入れていた。くるくるとかき回し、コメの手触りを楽しむ。
新米、嬉しいな。
つやつやの炊きあがりを想像しながら研ぎ終わり、お釜にセットしてスイッチを入れる。
久しぶりに、無心でお米を研いだ。
気がつけば、離婚してから、とうに10年が過ぎていた。


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料理がキライな人。料理は苦にならないのに、後片付けが苦手な人。
アイロンがけをするくらいなら、死んだほうがマシだ!という人もいる。
私はいつの頃からか、お米を研ぐのがイヤだった。
どうしてもできない、というわけではない。
お米をいれたボウルに蛇口から水を入れ、手を突っ込んでぐるぐる回す。お米をこぼさないように、研ぎ汁だけ流し、水を入れ替えて、また研ぐ。
無心に単純作業をしているつもりが、心の底の底のどこかに、濁った感情がのろのろと流れ、周囲を汚していくのを感じる。
研ぎ汁が透明になり、お米をお釜にセットする時には、その流れは止まって、次にお米に手を入れるまで、小さな負の感情は忘れられてしまう。
忘れては思い出す、そんなことを日々、何度も何度も繰り返して、ある日ふと気づいた。
私、お米を研ぐのがイヤなんだ!
ごはんを炊くのは家事担当者にとってなかなかに重要な作業である。
それがイヤだとなると、家族の食生活に支障をきたすのではないか、と危惧したが、そんな私にとって本当にけっこうなものがあった。
無洗米である。
気になる人はさっとすすいでもよいが、とにかく研がずに水加減がすぐできるという、画期的な商品。
以来うちでは無洗米しか買わないが、おかげで生活が100ワットくらい明るくなった気がする。
子供の頃、最初のお手伝いらしいお手伝いは、お米を研ぐことだった。
その頃は、めんどくさいとは思っても、イヤだった記憶はない。お米の間を指が通る感触も、濁ったとぎ汁がだんだん透き通っていくのも、楽しかった。
結婚して、子供ができ、小さかった子供を踏み台にのせて、並んでお米を研いだこともあった。
コツンと思い当たるのは離婚の前後である。
夫婦の空気が不穏になり、家の中は寒くなり、愛情があるのか憎いのか、わからない夫のために、それでも食事を用意する日々。
決定的な言葉をいつ言われるか、背後に冷え冷えした気配を感じながら、冷たい水に手を入れる。
力を入れてかき回すと、研ぎ汁が濁り、心が濁る。
もうずっと昔のことに思えるが、水を張ったボウルに向かうと、あの日々がよみがえるのかもしれない。
先日、お友だちが、銘柄米の新米をくれた。
ごく自然にボウルに入れ、水を入れていた。くるくるとかき回し、コメの手触りを楽しむ。
新米、嬉しいな。
つやつやの炊きあがりを想像しながら研ぎ終わり、お釜にセットしてスイッチを入れる。
久しぶりに、無心でお米を研いだ。
気がつけば、離婚してから、とうに10年が過ぎていた。


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にちよう話。
サザエさん症候群というものがあるらしい。

この画面が流れる日曜日の夜
明日からまた仕事(または学校)だ…
と思うと気分がふさぎ、体調不良になるのだという。
サザエさんは、楽しかったお休みの終わり。それを見て、憂鬱になるのは理解できる。
ところが逆に、サザエさんが流れているとたのしい、と言う友だちもいる。
リビングで子供たちとダンナがサザエさんを見てるとき、キッチンで晩ごはんを作ってると、ああ私シアワセだなあ、お母さんになったんだなあ…と思うのよ…
これもまた絵に描いたように幸せな家族の情景で、友だちの気持ちも分かるのだ。
同じサザエさんを見て、憂鬱になるのと、幸せを感じるのと。両極端の反応はなぜなのだろう。
サザエさんを見て憂鬱になるのは、子供と父親。
幸せを感じるのは母親、という違いがあるかもしれない。
だいたい、日曜日というのは、母親にとって特段に嬉しいものではない。
働く母親は、日曜ともなれば、平日のぶんまで家事を片付けなければならないのだ。
リビングにゴロゴロ寝転ぶ亭主をまたぎ越しながら、掃除機をかければうるさがられる。
溜まった洗濯物を洗って干していると、まだ11時だというのに、ゲームに飽きた子供は昼ご飯の催促。
気晴らしにとショッピングモールに出かけても、くたびれて帰れば、夕ご飯の準備をしなければならない。
家事に休日はないのである。
こんな日曜なら、亭主は会社、子供は学校に出かけてくれる平日のほうがよっぽどいい。
サザエさんに感じる母親の幸福には
はーヤレヤレ、これでやっと日曜が終わった…
という気持ちが、いくぶんか混じっていると思っていいのではないだろうか。
同じリビングで同じテレビを見ながら、憂鬱に沈み込む者と、解放されて晴々する者と。
幸せそうな家族の情景にも、そんな気持ちの交錯があるのかもしれない。

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この画面が流れる日曜日の夜
明日からまた仕事(または学校)だ…
と思うと気分がふさぎ、体調不良になるのだという。
サザエさんは、楽しかったお休みの終わり。それを見て、憂鬱になるのは理解できる。
ところが逆に、サザエさんが流れているとたのしい、と言う友だちもいる。
リビングで子供たちとダンナがサザエさんを見てるとき、キッチンで晩ごはんを作ってると、ああ私シアワセだなあ、お母さんになったんだなあ…と思うのよ…
これもまた絵に描いたように幸せな家族の情景で、友だちの気持ちも分かるのだ。
同じサザエさんを見て、憂鬱になるのと、幸せを感じるのと。両極端の反応はなぜなのだろう。
サザエさんを見て憂鬱になるのは、子供と父親。
幸せを感じるのは母親、という違いがあるかもしれない。
だいたい、日曜日というのは、母親にとって特段に嬉しいものではない。
働く母親は、日曜ともなれば、平日のぶんまで家事を片付けなければならないのだ。
リビングにゴロゴロ寝転ぶ亭主をまたぎ越しながら、掃除機をかければうるさがられる。
溜まった洗濯物を洗って干していると、まだ11時だというのに、ゲームに飽きた子供は昼ご飯の催促。
気晴らしにとショッピングモールに出かけても、くたびれて帰れば、夕ご飯の準備をしなければならない。
家事に休日はないのである。
こんな日曜なら、亭主は会社、子供は学校に出かけてくれる平日のほうがよっぽどいい。
サザエさんに感じる母親の幸福には
はーヤレヤレ、これでやっと日曜が終わった…
という気持ちが、いくぶんか混じっていると思っていいのではないだろうか。
同じリビングで同じテレビを見ながら、憂鬱に沈み込む者と、解放されて晴々する者と。
幸せそうな家族の情景にも、そんな気持ちの交錯があるのかもしれない。

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おにくの話。
今日29日は「肉の日」だという。
貧しい我が家では、だからといってお肉を食べるわけではないのだが、毎月29日が来るたび
ああ、肉の日か…
などと思ってしまうのは、やっぱりお肉が好きだからだろう。
22年前、私は初産を控えた妊婦であった。
予定日が近づき、いつ生まれてもおかしくない時期に、ブランド牛肉をいただいた。
ふだんはなかなか口にできない高級なお肉である。
どうやって食べようか、楽しみにあれこれ思案しつつ、大切に冷凍庫にしまった。
翌朝、未明に違和感を覚えて目が覚めた。
まぎれもない、陣痛だ。
まず頭に浮かんだのは昨日の牛肉のことである。
お産というものは、本当に何があるかわからない。元気な子供を抱いて、元気に退院できる保証はどこにもないのである。
あのお肉を食べておきたい、と思った。
さいわい陣痛の間隔はまだ30分はあるようだ。
急ぎ、スキヤキの準備をする。
関西人なので、割り下は使わず、鍋にヘットをしき、お肉を焼いて砂糖と醤油を入れる作り方である。
早朝の空気に、時ならぬ肉の芳香がたちこめた。
ブランド牛肉は美味しかった。夢中で食べていて、時折
イタタタタ…
陣痛が訪れると、その間だけ箸をおき、食卓の端をつかんで耐える。
その間隔は、食べ進むうちに確実に縮まっていき、ついに10分おきとなった。
担当医には、陣痛が10分間隔となったら入院するように、と言われている。
しかし、スキヤキのほうは、シメがまだなのである。
ウドン!ウドンを…!
その主張もむなしく、引きずるようにタクシーにのせられ、入院と相成った。
初産ということもあり、そのあと丸1日、うなったり苦しんだりのあげく、翌朝ようやく、標準よりかなりデカく、ムスメが生まれた。
オギャーと産声を聞いたときには、2人前は食べたはずのお肉はすべて消化され、お腹はペコペコ。
シメのウドンを食べられなかったから、かもしれない。
そのムスメが、間もなく22歳になる。
誕生日にはスキヤキでもしようかな。


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貧しい我が家では、だからといってお肉を食べるわけではないのだが、毎月29日が来るたび
ああ、肉の日か…
などと思ってしまうのは、やっぱりお肉が好きだからだろう。
22年前、私は初産を控えた妊婦であった。
予定日が近づき、いつ生まれてもおかしくない時期に、ブランド牛肉をいただいた。
ふだんはなかなか口にできない高級なお肉である。
どうやって食べようか、楽しみにあれこれ思案しつつ、大切に冷凍庫にしまった。
翌朝、未明に違和感を覚えて目が覚めた。
まぎれもない、陣痛だ。
まず頭に浮かんだのは昨日の牛肉のことである。
お産というものは、本当に何があるかわからない。元気な子供を抱いて、元気に退院できる保証はどこにもないのである。
あのお肉を食べておきたい、と思った。
さいわい陣痛の間隔はまだ30分はあるようだ。
急ぎ、スキヤキの準備をする。
関西人なので、割り下は使わず、鍋にヘットをしき、お肉を焼いて砂糖と醤油を入れる作り方である。
早朝の空気に、時ならぬ肉の芳香がたちこめた。
ブランド牛肉は美味しかった。夢中で食べていて、時折
イタタタタ…
陣痛が訪れると、その間だけ箸をおき、食卓の端をつかんで耐える。
その間隔は、食べ進むうちに確実に縮まっていき、ついに10分おきとなった。
担当医には、陣痛が10分間隔となったら入院するように、と言われている。
しかし、スキヤキのほうは、シメがまだなのである。
ウドン!ウドンを…!
その主張もむなしく、引きずるようにタクシーにのせられ、入院と相成った。
初産ということもあり、そのあと丸1日、うなったり苦しんだりのあげく、翌朝ようやく、標準よりかなりデカく、ムスメが生まれた。
オギャーと産声を聞いたときには、2人前は食べたはずのお肉はすべて消化され、お腹はペコペコ。
シメのウドンを食べられなかったから、かもしれない。
そのムスメが、間もなく22歳になる。
誕生日にはスキヤキでもしようかな。


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こどもの話。
二人も産んどいてナンだが、私は子供が苦手である。
ムスメとムスコが子供時代を脱し、大人になってくれて、本当に良かったと思っている。
子供はもちろんかわいい。
ただ、そのかわいさの背後に、ちょっぴりの不気味さを感じるのだ。
ムスメやムスコがまだ小さかった頃。
夜、子供を寝かしつけてから、飲み物を手に、文庫本を開くのが、一日の終わりの楽しみだった。
静かになった部屋にコーヒーの香りだけが漂い、次第に小説の世界に入り込んでいく。
どれだけ時間が経っただろう。章と章の合間で、コーヒーのお代わりでも、と、ふと顔をあげると
ぎゃっ!
とても自分のものと思えない、踏まれたガマみたいな声が出た。
いつの間に開いたフスマのむこうに、寝ているはずの子供が立っている。
声を出すでも泣くでもなく、笑顔でもなく真顔で、黙ってこちらを見ている。
一瞬のことだが、縮みあがるほどの恐怖を感じた。
もちろんすぐに我に返り、ちゃんとお母さんらしく
どうしたの… こんな夜中に… 夢でも見たの?
などと聞きながら、もう一度フトンに寝かせに行ったと思う。
しかし、あの一瞬の恐怖は、今も忘れない。
自分で産んだ自分の子供が、なんであんなに怖かったのだろう。
夜中に子供が起きてくる、ということは今でもある。
しかし、デカくなったムスメやムスコに、あの時のような恐怖を感じることはないのだ。

(ザシキワラシを見た…みたいな感じ?)

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ムスメとムスコが子供時代を脱し、大人になってくれて、本当に良かったと思っている。
子供はもちろんかわいい。
ただ、そのかわいさの背後に、ちょっぴりの不気味さを感じるのだ。
ムスメやムスコがまだ小さかった頃。
夜、子供を寝かしつけてから、飲み物を手に、文庫本を開くのが、一日の終わりの楽しみだった。
静かになった部屋にコーヒーの香りだけが漂い、次第に小説の世界に入り込んでいく。
どれだけ時間が経っただろう。章と章の合間で、コーヒーのお代わりでも、と、ふと顔をあげると
ぎゃっ!
とても自分のものと思えない、踏まれたガマみたいな声が出た。
いつの間に開いたフスマのむこうに、寝ているはずの子供が立っている。
声を出すでも泣くでもなく、笑顔でもなく真顔で、黙ってこちらを見ている。
一瞬のことだが、縮みあがるほどの恐怖を感じた。
もちろんすぐに我に返り、ちゃんとお母さんらしく
どうしたの… こんな夜中に… 夢でも見たの?
などと聞きながら、もう一度フトンに寝かせに行ったと思う。
しかし、あの一瞬の恐怖は、今も忘れない。
自分で産んだ自分の子供が、なんであんなに怖かったのだろう。
夜中に子供が起きてくる、ということは今でもある。
しかし、デカくなったムスメやムスコに、あの時のような恐怖を感じることはないのだ。

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うえきの話。
勝手口を開けたら、ドアが何かに触った。鉢植えの観葉植物の枝が伸びすぎだ。

(カポックとかなんとかいうこういうやつ)
植木バサミを持ってきて、パキョン!パキョン!と大胆に切り落とす。
自信たっぷりなその様子は、いっぱしの園芸家に見えるかもしれないが、けっしてそうではない。
私は園芸全般が苦手で、丈夫で育てやすいという鉢植えをいただいても、驚きのスピードで枯らしてしまう。
Green fingersどころか、触れば枯れる黒い指の持ち主なのだ。
あらゆる植物におっかなびっくり
枯れるなよ~、枯れないでくれよ~
と、及び腰で対処している。
それが、コイツに関してだけ大胆に接することができるのは、ひとえに付き合いの長さゆえである。
コイツがやってきたのは、今を去ること30年前、1人暮らしの頃。
時はバブル、私は夜を徹して働き遊ぶ、イケイケOL (笑)であった。
しおらしく鉢植えに水をやるような生活とは程遠い私のアパートに、小さな緑の鉢を持ってきたのは母。
生活にはウルオイが必要でしょ
などとイイコト言うが、何のこたあない、挿し木で増えた鉢の行き先に困ってのことだ。
この人は私とは正反対で、植える植物はどれもこれも元気良く育ち、どんどん増える。
そして増やした鉢植えを、次から次へと持ち込んできた。
対する私は、それを得意のBlack fingersで、次から次へと枯らしてきたのだが、一番最初にやって来たコイツだけは、どういう加減かびくともしない。
暑くても寒くても、何か月も水をやらなくても、枯れることなく葉を茂らせ、だんだんと大きくなる。
結婚して、子供ができて、離婚して、何度も引っ越しても、少しずつ鉢を大きくしながら、ずっとついてきた。
子供が小さい頃には、冬の寒い時期は室内に取り込み、クリスマスツリーとして飾りつけた。
思えばあの頃が、コイツが一番輝いていた時期かもしれない。
子供も育った今では、もはや注目されることもなく、年がら年中ベランダに出しっぱなしだが、不平も言わず、置かれたところにじっとしている。
思えば両親より、元亭主より、子供より、長く私と一緒にいるのはコイツである。
さっき切り落とした枝を、ちょっと土に挿してみた。
根付いて新しい木になったら、ムスメのアパートに持って行ってやろうかしら。
ムスメの迷惑そうな顔が頭に浮かんで、ひとり笑った。

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(カポックとかなんとかいうこういうやつ)
植木バサミを持ってきて、パキョン!パキョン!と大胆に切り落とす。
自信たっぷりなその様子は、いっぱしの園芸家に見えるかもしれないが、けっしてそうではない。
私は園芸全般が苦手で、丈夫で育てやすいという鉢植えをいただいても、驚きのスピードで枯らしてしまう。
Green fingersどころか、触れば枯れる黒い指の持ち主なのだ。
あらゆる植物におっかなびっくり
枯れるなよ~、枯れないでくれよ~
と、及び腰で対処している。
それが、コイツに関してだけ大胆に接することができるのは、ひとえに付き合いの長さゆえである。
コイツがやってきたのは、今を去ること30年前、1人暮らしの頃。
時はバブル、私は夜を徹して働き遊ぶ、イケイケOL (笑)であった。
しおらしく鉢植えに水をやるような生活とは程遠い私のアパートに、小さな緑の鉢を持ってきたのは母。
生活にはウルオイが必要でしょ
などとイイコト言うが、何のこたあない、挿し木で増えた鉢の行き先に困ってのことだ。
この人は私とは正反対で、植える植物はどれもこれも元気良く育ち、どんどん増える。
そして増やした鉢植えを、次から次へと持ち込んできた。
対する私は、それを得意のBlack fingersで、次から次へと枯らしてきたのだが、一番最初にやって来たコイツだけは、どういう加減かびくともしない。
暑くても寒くても、何か月も水をやらなくても、枯れることなく葉を茂らせ、だんだんと大きくなる。
結婚して、子供ができて、離婚して、何度も引っ越しても、少しずつ鉢を大きくしながら、ずっとついてきた。
子供が小さい頃には、冬の寒い時期は室内に取り込み、クリスマスツリーとして飾りつけた。
思えばあの頃が、コイツが一番輝いていた時期かもしれない。
子供も育った今では、もはや注目されることもなく、年がら年中ベランダに出しっぱなしだが、不平も言わず、置かれたところにじっとしている。
思えば両親より、元亭主より、子供より、長く私と一緒にいるのはコイツである。
さっき切り落とした枝を、ちょっと土に挿してみた。
根付いて新しい木になったら、ムスメのアパートに持って行ってやろうかしら。
ムスメの迷惑そうな顔が頭に浮かんで、ひとり笑った。

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Tしゃつ話。
私の普段着は、Tシャツにジーンズが多い。
寒くなってもTシャツが長袖になり、上に何か羽織るくらいのものだ。
下半身は年がら年中変わり映えしないので、シャツのほうは面白いのを着たい。
お花だのネコちゃんだの、カワイイだけの柄ではなく、かといって、ミエミエのウケ狙いでもなく、
ん?ナニソレ?
と、ちょっとだけ引っかかるようなのが理想なのだが、どうやら一般的な好みからはズレているらしい。
ぶらりと衣料品店に入るとする。
今シーズンイチ押しのデザインが、目立つ場所にかけてあるが、そこには私が着てみたい、欲しいと思うシャツはない。
店の隅に目をやれば、セール時期でもないのに、ワゴンが1台だけ出ていて、ハンパものや売れ残りが、半値の8掛けの2割引きで、投げ売りされている。
私の求めるTシャツは、だいたいこういう、ショボいワゴンの中にある。
今日着ている、ビールジョッキを掲げたおっさんのTシャツも、昨日のパーマをかけたハリネズミのTシャツも、ワゴンの中からほじくり出した逸品なのだ。
この趣味にはスバラシイ点がいくつかあり、まずお金がかからない。
次にいいのは、どこに着て行っても、誰ともカブらないということである。
誰も買わないから投げ売りになっているのだからして、当然といえば当然である。
ハリキって着てきたお洋服が、人とカブるのは本当に気まずいが、そういう思いをしないで済むのだ。
ところが先日。
とある集まりで、前に立った男の人(40代独身)のTシャツを見て、友だちに
ねえ、あれ、あなたが買いそうじゃない?
と、からかわれ、私は
ホントだ…ハハハ…
と力なく笑うしかなかった。
買いそう、どころではない。じつはまったく同じシャツを、前日ワゴンからほじくり出して買ったばかり。まだ値札もついた状態で、家にあるのである。
せっかく気に入って買ったのに、もうここには着てこられないではないか。
それにしてもあの男は、なんでよりによってあんな変なTシャツを買うのか。
自分の趣味は棚にあげて、私はプンプン怒っている。

(ミスタージョン って、誰?)

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寒くなってもTシャツが長袖になり、上に何か羽織るくらいのものだ。
下半身は年がら年中変わり映えしないので、シャツのほうは面白いのを着たい。
お花だのネコちゃんだの、カワイイだけの柄ではなく、かといって、ミエミエのウケ狙いでもなく、
ん?ナニソレ?
と、ちょっとだけ引っかかるようなのが理想なのだが、どうやら一般的な好みからはズレているらしい。
ぶらりと衣料品店に入るとする。
今シーズンイチ押しのデザインが、目立つ場所にかけてあるが、そこには私が着てみたい、欲しいと思うシャツはない。
店の隅に目をやれば、セール時期でもないのに、ワゴンが1台だけ出ていて、ハンパものや売れ残りが、半値の8掛けの2割引きで、投げ売りされている。
私の求めるTシャツは、だいたいこういう、ショボいワゴンの中にある。
今日着ている、ビールジョッキを掲げたおっさんのTシャツも、昨日のパーマをかけたハリネズミのTシャツも、ワゴンの中からほじくり出した逸品なのだ。
この趣味にはスバラシイ点がいくつかあり、まずお金がかからない。
次にいいのは、どこに着て行っても、誰ともカブらないということである。
誰も買わないから投げ売りになっているのだからして、当然といえば当然である。
ハリキって着てきたお洋服が、人とカブるのは本当に気まずいが、そういう思いをしないで済むのだ。
ところが先日。
とある集まりで、前に立った男の人(40代独身)のTシャツを見て、友だちに
ねえ、あれ、あなたが買いそうじゃない?
と、からかわれ、私は
ホントだ…ハハハ…
と力なく笑うしかなかった。
買いそう、どころではない。じつはまったく同じシャツを、前日ワゴンからほじくり出して買ったばかり。まだ値札もついた状態で、家にあるのである。
せっかく気に入って買ったのに、もうここには着てこられないではないか。
それにしてもあの男は、なんでよりによってあんな変なTシャツを買うのか。
自分の趣味は棚にあげて、私はプンプン怒っている。

(ミスタージョン って、誰?)

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ひやみず話。
有名な俳優が亡くなった。
有名な声優も、亡くなった。
ニュース番組を見ていたら、ナニヤラいう肩書の若いヤツが
残念です まだまだ活躍していただきたかった
と、したり顔で言っている。
著名な人、業績のある人が亡くなると、わりと気楽にこういうことを言うヤツがいる。
この方々に限らず、惜しい才能を亡くした、と、あまり強調されると、じゃあ特に才能のない人は死んでも惜しくないのか、などと思ってしまうのは、ひねくれた考えなのは重々承知だ。
しかし、この俳優と声優の、いずれももう80代である。そんなトシの人に向かって、
まだまだ活躍してほしかった
とは、どこまで要求するんだ、と言いたい。
いいかげんカンベンしてやれよ、とも思う。
朝起きてもただ眠いばかりで、関節の痛みの一つも感じたことのない若いヤツに、齢80を過ぎた人の日々が、どれだけ困難で、重くつらいものなのか、わかるはずがない。
元気に見えたって、年を経た身体のあちこちは傷んでいるし、だからこそ亡くなったわけで。
昔の人は年寄りの冷や水などと言った。
それは、必ずしもハリキリすぎる老人への揶揄や戒めだけではない。
若い世代に対しては、老人は年齢不相応のことから遠ざけてやれ、という注意喚起にもなったはずだ。
80代まで現役で活躍し続け、ついに倒れたおふたりは本当にご立派だが、人生の最期には、トシ相応に、ノンビリと無為でじじむさい日々を、ちょっとくらい味わわせてあげたかった気もする。

(「キャー、おじいちゃん、やめてぇー!」)

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有名な声優も、亡くなった。
ニュース番組を見ていたら、ナニヤラいう肩書の若いヤツが
残念です まだまだ活躍していただきたかった
と、したり顔で言っている。
著名な人、業績のある人が亡くなると、わりと気楽にこういうことを言うヤツがいる。
この方々に限らず、惜しい才能を亡くした、と、あまり強調されると、じゃあ特に才能のない人は死んでも惜しくないのか、などと思ってしまうのは、ひねくれた考えなのは重々承知だ。
しかし、この俳優と声優の、いずれももう80代である。そんなトシの人に向かって、
まだまだ活躍してほしかった
とは、どこまで要求するんだ、と言いたい。
いいかげんカンベンしてやれよ、とも思う。
朝起きてもただ眠いばかりで、関節の痛みの一つも感じたことのない若いヤツに、齢80を過ぎた人の日々が、どれだけ困難で、重くつらいものなのか、わかるはずがない。
元気に見えたって、年を経た身体のあちこちは傷んでいるし、だからこそ亡くなったわけで。
昔の人は年寄りの冷や水などと言った。
それは、必ずしもハリキリすぎる老人への揶揄や戒めだけではない。
若い世代に対しては、老人は年齢不相応のことから遠ざけてやれ、という注意喚起にもなったはずだ。
80代まで現役で活躍し続け、ついに倒れたおふたりは本当にご立派だが、人生の最期には、トシ相応に、ノンビリと無為でじじむさい日々を、ちょっとくらい味わわせてあげたかった気もする。

(「キャー、おじいちゃん、やめてぇー!」)

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かいてん話。
近所の商店が閉店して、かれこれ2年。
ずっとシャッターが下りていた店の前にライトバンが停まり、木材やブロックが積まれて、工事が始まった。
どうやら新しいテナントが決まったらしい。
私が儲かるわけではないが、新しいお店ができると思うと心楽しいものだ。
あそこ、やっとお店になるみたいよ~
夕飯の時ムスコに言ったら
どうせまた美容院じゃねーの…
と、悲観的である。
そう、この辺りはどういうわけか、美容院が林立する、美容院激戦区なのだ。
いったいここらの住人は頭が何個あるのかと思うくらいたくさん美容院があり、そのうえに次々と新しい美容院ができる。
それに対して、飲食店は全くパッとせず、近所にはラーメン屋1軒だけ。
ここらで1つ、美味しいお店が欲しいところである。
かわいいカフェとかさ、本格パスタとかさ…
などと夢を語っていたら、ムスコは
そんなこと言って どうせ「ここまで来たらもう家に帰ろう」って言うクセに…
うーん、確かに。
家の近所は難しい。
家から離れた場所でご飯どきになれば、ためらわず外食するが、もうすぐそこが家、というところでおなかが減っても、帰って食べるほうがラクだし、なにより経済的だ。
どんなに美味しい、ステキなお店でも、近すぎると案外行かないものなのかもしれない。
同じ食べ物でも、持ち帰る店ならどうだろう。
じゃあ… ケーキ屋さんか… そうだ!カラアゲの美味しいお弁当屋さんは?
お、それイイね 賛成…
ご飯を作るのが面倒な時、揚げ物が食べたい時、近所にホカ弁があればいいなあ、と思っていたのだ。
こうして、わが家の意見として、新しい店はお弁当屋さんに決まった。
昨日、工事の現場を通ったら、店のガラスに鹿のキャラクターのステッカーが貼られ、
こじか薬局
という看板が出ていた。
どうやら、ここの家主の意見は、わが家とは違ったらしい。
ひじょうに残念である。

(鹿のキャラクターといってもこの人ではない)

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ずっとシャッターが下りていた店の前にライトバンが停まり、木材やブロックが積まれて、工事が始まった。
どうやら新しいテナントが決まったらしい。
私が儲かるわけではないが、新しいお店ができると思うと心楽しいものだ。
あそこ、やっとお店になるみたいよ~
夕飯の時ムスコに言ったら
どうせまた美容院じゃねーの…
と、悲観的である。
そう、この辺りはどういうわけか、美容院が林立する、美容院激戦区なのだ。
いったいここらの住人は頭が何個あるのかと思うくらいたくさん美容院があり、そのうえに次々と新しい美容院ができる。
それに対して、飲食店は全くパッとせず、近所にはラーメン屋1軒だけ。
ここらで1つ、美味しいお店が欲しいところである。
かわいいカフェとかさ、本格パスタとかさ…
などと夢を語っていたら、ムスコは
そんなこと言って どうせ「ここまで来たらもう家に帰ろう」って言うクセに…
うーん、確かに。
家の近所は難しい。
家から離れた場所でご飯どきになれば、ためらわず外食するが、もうすぐそこが家、というところでおなかが減っても、帰って食べるほうがラクだし、なにより経済的だ。
どんなに美味しい、ステキなお店でも、近すぎると案外行かないものなのかもしれない。
同じ食べ物でも、持ち帰る店ならどうだろう。
じゃあ… ケーキ屋さんか… そうだ!カラアゲの美味しいお弁当屋さんは?
お、それイイね 賛成…
ご飯を作るのが面倒な時、揚げ物が食べたい時、近所にホカ弁があればいいなあ、と思っていたのだ。
こうして、わが家の意見として、新しい店はお弁当屋さんに決まった。
昨日、工事の現場を通ったら、店のガラスに鹿のキャラクターのステッカーが貼られ、
こじか薬局
という看板が出ていた。
どうやら、ここの家主の意見は、わが家とは違ったらしい。
ひじょうに残念である。

(鹿のキャラクターといってもこの人ではない)

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やさいの話。
野菜が高いとテレビがうるさい。
アナウンサーにしろ、タレントにしろ、アンタ絶対スーパーで買物なんかしないだろ!という人が、十円単位の値上げに大仰に眉を顰めてみせるのは、いかにもわざとらしい。
私は自慢じゃないがビンボーである。
だが、野菜が高いからといって文句を言ったり、腹を立てたりする気持ちにはなれない。
ブランド物やなんかと違って、野菜の高いのにはやむを得ない理由がある。
高いのは不作のせいであり、農家も法外に儲けているわけじゃないと思うからだ。
そもそも、ビンボーな私は、ふだんから高くて買えないものがいっぱいある。
少々野菜が上がったところで、いっぱいある買えないものが、ちょっと増えるだけなのだ。
ショーウインドウでシャネルやヴィトンを見て、買えなくてもなんとも思わないのと同じである。
野菜が高くて困る!
と思う人というのは、ふだんから心のおもむくまま、買いたいものを買っている人に違いない。
いつも自由に欲求を満たしているからこそ、制限されると腹が立つのである。
それに、野菜ったって色々あるんだから、高くないのを選んで食べればいいだけのことじゃないか。
キャベツを食べなきゃ死ぬ!
などという人はほとんどない。(いらしたらお気の毒に思うが)
キャベツがなければ、モヤシを食べればいいじゃないの…
と、気分はマリーアントワネット。
なぜかちょっと豪奢な気分になってしまったが、それというのもビンボーゆえである。

(Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche, 1755.11.2 - 1793.10.16)

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アナウンサーにしろ、タレントにしろ、アンタ絶対スーパーで買物なんかしないだろ!という人が、十円単位の値上げに大仰に眉を顰めてみせるのは、いかにもわざとらしい。
私は自慢じゃないがビンボーである。
だが、野菜が高いからといって文句を言ったり、腹を立てたりする気持ちにはなれない。
ブランド物やなんかと違って、野菜の高いのにはやむを得ない理由がある。
高いのは不作のせいであり、農家も法外に儲けているわけじゃないと思うからだ。
そもそも、ビンボーな私は、ふだんから高くて買えないものがいっぱいある。
少々野菜が上がったところで、いっぱいある買えないものが、ちょっと増えるだけなのだ。
ショーウインドウでシャネルやヴィトンを見て、買えなくてもなんとも思わないのと同じである。
野菜が高くて困る!
と思う人というのは、ふだんから心のおもむくまま、買いたいものを買っている人に違いない。
いつも自由に欲求を満たしているからこそ、制限されると腹が立つのである。
それに、野菜ったって色々あるんだから、高くないのを選んで食べればいいだけのことじゃないか。
キャベツを食べなきゃ死ぬ!
などという人はほとんどない。(いらしたらお気の毒に思うが)
キャベツがなければ、モヤシを食べればいいじゃないの…
と、気分はマリーアントワネット。
なぜかちょっと豪奢な気分になってしまったが、それというのもビンボーゆえである。

(Marie Antoinette Josepha Jeanne de Lorraine d'Autriche, 1755.11.2 - 1793.10.16)

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いもほり話。
どろんこの長靴をはき、重そうなビニール袋を提げた母子とすれ違った。
幼稚園のイモ掘りの帰りらしい。
ハロウィンやらクリスマスやらに混じって、素朴な行事が生き残っているのは、嬉しいことだ。
ムスコの幼稚園では、親同伴のイモ掘り遠足があった。
バスで郊外まで。丹精された農家の畑のフカフカの土からは、立派なお芋が、面白いほどゴロゴロ出てくる。
ムスコは夢中で土を掘り、お友だちとお芋の大きさを競って、笑った。
どろんこの手だけを洗って、畑の畔に並んでお弁当を食べ、収穫したお芋は山分けにする。一日の終わりには、みんなすっかり満足した。
幼稚園の前でバスを降りて、解散。今日見た親子のように、お芋の袋をぶら下げ、歩いて帰るのだ。
ところが、家までの道のりの、ちょうど真ん中あたりで、ムスコが
おなかイタイ…
と言い出した。周囲は住宅街で、ご不浄を借りられそうなお店などもない。
顔をしかめ、お腹を押さえるムスコを励まし励まし、しばらく歩くと、町工場らしいうちの前に出た。
仕事は終わっているようだが、薄暗い中を覗いたら、ちょうどホウキでお掃除中のおばさんと目が合ったので、ダメもとで
すみません… 子供が、おなか痛くしちゃって…
と言ってみたところ、前掛けをしたおばさんは気安く
あー、お便所ね!いいよ、こっちこっち!
手招きしてムスコを奥に連れて行ってくれた。
掃除途中の、誰もいない工場の床には、木っ端や鋸屑が落ちていて、新しい木の香がする。
しばらくして、すっかりサッパリしたムスコが、おばさんに連れられて戻ってきた。
ありがとうございました!ほら、アリガトウは?
…あーりーがーとー!
いーのいーの! 間に合ってよかったねボク!
お店なら、お礼も兼ねて何か買って帰るのだが、工場じゃそうもいかないな、と思ったら、手に提げていたものに気付いた。
あの!今日おイモ掘りだったんです よろしかったら…
袋に手を突っ込んで、手に触れた一つをひっぱりだす。
アラアラ… ボク、せっかく掘ったんでしょ… ワルいわ…
いいえ、いっぱいありますから… ほら、おばちゃんにハイドーゾして
…どーぞ!
アラアラ… それはどうもありがとう…
ムスコの手からおばちゃんが受け取ってくれたそれは、どうやら一番大きな、形のいいお芋だった。
大きなお芋をあげてしまって、ムスコは残念がるかと思ったが、むしろ誇らしげに、嬉しそうである。
おばちゃんに おイモあげたねえ…
よかったねえ…
おばちゃん、アリガトウいってたねえ…
うれしそうだったねえ…
道みち何度も、ふたり確かめるように言いあいながら、家に帰った。

(掘ったお芋はすぐ食べないで、しばらく干すと甘くなる)

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幼稚園のイモ掘りの帰りらしい。
ハロウィンやらクリスマスやらに混じって、素朴な行事が生き残っているのは、嬉しいことだ。
ムスコの幼稚園では、親同伴のイモ掘り遠足があった。
バスで郊外まで。丹精された農家の畑のフカフカの土からは、立派なお芋が、面白いほどゴロゴロ出てくる。
ムスコは夢中で土を掘り、お友だちとお芋の大きさを競って、笑った。
どろんこの手だけを洗って、畑の畔に並んでお弁当を食べ、収穫したお芋は山分けにする。一日の終わりには、みんなすっかり満足した。
幼稚園の前でバスを降りて、解散。今日見た親子のように、お芋の袋をぶら下げ、歩いて帰るのだ。
ところが、家までの道のりの、ちょうど真ん中あたりで、ムスコが
おなかイタイ…
と言い出した。周囲は住宅街で、ご不浄を借りられそうなお店などもない。
顔をしかめ、お腹を押さえるムスコを励まし励まし、しばらく歩くと、町工場らしいうちの前に出た。
仕事は終わっているようだが、薄暗い中を覗いたら、ちょうどホウキでお掃除中のおばさんと目が合ったので、ダメもとで
すみません… 子供が、おなか痛くしちゃって…
と言ってみたところ、前掛けをしたおばさんは気安く
あー、お便所ね!いいよ、こっちこっち!
手招きしてムスコを奥に連れて行ってくれた。
掃除途中の、誰もいない工場の床には、木っ端や鋸屑が落ちていて、新しい木の香がする。
しばらくして、すっかりサッパリしたムスコが、おばさんに連れられて戻ってきた。
ありがとうございました!ほら、アリガトウは?
…あーりーがーとー!
いーのいーの! 間に合ってよかったねボク!
お店なら、お礼も兼ねて何か買って帰るのだが、工場じゃそうもいかないな、と思ったら、手に提げていたものに気付いた。
あの!今日おイモ掘りだったんです よろしかったら…
袋に手を突っ込んで、手に触れた一つをひっぱりだす。
アラアラ… ボク、せっかく掘ったんでしょ… ワルいわ…
いいえ、いっぱいありますから… ほら、おばちゃんにハイドーゾして
…どーぞ!
アラアラ… それはどうもありがとう…
ムスコの手からおばちゃんが受け取ってくれたそれは、どうやら一番大きな、形のいいお芋だった。
大きなお芋をあげてしまって、ムスコは残念がるかと思ったが、むしろ誇らしげに、嬉しそうである。
おばちゃんに おイモあげたねえ…
よかったねえ…
おばちゃん、アリガトウいってたねえ…
うれしそうだったねえ…
道みち何度も、ふたり確かめるように言いあいながら、家に帰った。

(掘ったお芋はすぐ食べないで、しばらく干すと甘くなる)

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