かぼちゃの話。

今日は冬至。
ゆず湯に入るお宅も多いと思うが( →ゆずゆの話。)、もう1つ冬至につきものなのがカボチャ。
関西ではカボチャをナンキンと呼び、イモタコナンキンといえば女性の好物の代表である。
ところが私は、女性のハシクレでありながら、イモやカボチャがあまり好きでない。食べられなくはないが、他のものがあれば、わざわざカボチャは選ばない。
実家でほとんど食べなかったので、食べ慣れないということがあると思う。
なぜうちではカボチャを食べなかったのか。それは家長である父がキライだったからである。
亡くなった父は、戦中派の、いちばん最後のシッポくらいの世代。出征はしていないが、一番お腹の減る時期に戦争を体験した。
ごくたまに、いただきもののおイモやカボチャが食卓にのると
オレは戦争中に一生分食ったぞ
と、みるみる機嫌が悪くなり、いかにもイヤそうにお鉢を遠ざけた。
痩せた土地で、畑仕事に不慣れな都会の人間でも栽培できたイモやカボチャは、おそらく父にとって、戦時中の食べ物のイメージしかなかったのだ。
詳しくは言わなかったが、中学のグラウンドにカボチャを植えた話を、1度だけ聞いたことがある。
学生時代は野球部で、ピッチャーだった父。
グラブを持って立ったマウンドを、走って目指したホームベースを、クワで耕すのは、きっと辛かっただろう。
もっと辛かったのは、そうやって収穫したカボチャしか、食べるものがなかったことかもしれない。
いま、ムスコはその頃の父より年上になり、私の煮たカボチャを、平和な顔でパクパク食べている。

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あてなの話。
今年きた年賀状を見ながら、宛名書き。
以前は印刷していたのだが、字がヘタになってきた気がして、一念発起、手書きに戻した。
めんどくさいかと思いきや、案外楽しい。
住所を書いていると、そこの印象を思い出し、知らない場所ならどんなところか想像してみる。ステキな場所には、良い地名がある。
名前を書けば、その人の表情が目に浮かぶ。好きな人の名前は、やっぱり良い名前だ。
1枚1枚めくっていると、幼馴染のちーちゃんのハガキが出てきた。
お習字をやっていたちーちゃんの字は、とてもきれいで読みやすいが、引っかかることが一つ。
どういうわけか、私の名前を、ずーっと間違って書いているのである。
読み方が同じで、違う漢字が当ててある。もう40年以上、ずーっとそうなのだ。
いつか気づいてくれるかと、とくに訂正もせずに来たが、一向に直らない。
厳しい人なら腹を立てて怒りだすところである。
同じ町内に生まれたちーちゃんとは、ゴム飛び、どろけい、かくれんぼ、一緒に遊んで育った。
年賀状なんてものを交換するようになったのは、引っ越してからである。
初めてちーちゃんの姓名を書いた時、コジマチエコさんというこの人が、私の友だちのちーちゃんなのか、と、ヘンな感じがしたのを覚えている。
私にとってちーちゃんはずっと「ちーちゃん」で、コジマさんなんてぜんぜん、ピンと来ない。
そのせいか、ちーちゃんの間違った宛名を見ても腹が立つどころか、むしろホノボノした気持ちになる。
ちーちゃんにとっても私は、いつまでもひらがなの「ぢょんこちゃん」なんだろう。
そのことがうれしく、なんだか懐かしい。
長く会わない人を思い出す、この季節の楽しみである。

(今年も「いろどり年賀」にしました)

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以前は印刷していたのだが、字がヘタになってきた気がして、一念発起、手書きに戻した。
めんどくさいかと思いきや、案外楽しい。
住所を書いていると、そこの印象を思い出し、知らない場所ならどんなところか想像してみる。ステキな場所には、良い地名がある。
名前を書けば、その人の表情が目に浮かぶ。好きな人の名前は、やっぱり良い名前だ。
1枚1枚めくっていると、幼馴染のちーちゃんのハガキが出てきた。
お習字をやっていたちーちゃんの字は、とてもきれいで読みやすいが、引っかかることが一つ。
どういうわけか、私の名前を、ずーっと間違って書いているのである。
読み方が同じで、違う漢字が当ててある。もう40年以上、ずーっとそうなのだ。
いつか気づいてくれるかと、とくに訂正もせずに来たが、一向に直らない。
厳しい人なら腹を立てて怒りだすところである。
同じ町内に生まれたちーちゃんとは、ゴム飛び、どろけい、かくれんぼ、一緒に遊んで育った。
年賀状なんてものを交換するようになったのは、引っ越してからである。
初めてちーちゃんの姓名を書いた時、コジマチエコさんというこの人が、私の友だちのちーちゃんなのか、と、ヘンな感じがしたのを覚えている。
私にとってちーちゃんはずっと「ちーちゃん」で、コジマさんなんてぜんぜん、ピンと来ない。
そのせいか、ちーちゃんの間違った宛名を見ても腹が立つどころか、むしろホノボノした気持ちになる。
ちーちゃんにとっても私は、いつまでもひらがなの「ぢょんこちゃん」なんだろう。
そのことがうれしく、なんだか懐かしい。
長く会わない人を思い出す、この季節の楽しみである。

(今年も「いろどり年賀」にしました)

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しあわせ話。
素材 ポリエステル ポリウレタン
表示を見た時、しまった、と思った。
私は肌着については、ちょっとした天然素材信仰がある。
化学繊維=ペラペラという、前時代的な印象に、どこかでとらわれているのか、機能的な新素材があるのは知っているが、今一つ信用しきれない。
夏ならコットン、冬ならウール。クツシタを選ぶときはそう決めていた。
ところが、混み合う年末のショッピングモール、気がせいていたのだろうか。3足千円のワゴンで、100%化学繊維のクツシタを買ってしまった。
冷える日のことだった。あったか ふわもこの表示に引き寄せられてしまったのだ。
しまったなあ、と思いながら、新しいクツシタをはく。
はあっ…
思わず怪しい声が出た。
とろける感触。クツシタにこんな表現はヘンだと思うが、そうとしか言えないのだからしかたがない。
どこも締め付けず、フンワリしているのにしっかり暖かく、なにより肌触りがすばらしい。
業界の努力による素材の進歩には、まったく驚かされる。
クツシタなんて、はいてしまえば脱ぐまでとくに意識しないものだが、このクツシタをはくと
あったかいなあ… 気持ちいいなあ…
と、ずっと感じている。
3足千円のクツシタにも、シアワセはある。
そういうものを見つけながら、これからも生きていこう。そんなことを思う、年の暮れである。

(1足333円のシアワセ)

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表示を見た時、しまった、と思った。
私は肌着については、ちょっとした天然素材信仰がある。
化学繊維=ペラペラという、前時代的な印象に、どこかでとらわれているのか、機能的な新素材があるのは知っているが、今一つ信用しきれない。
夏ならコットン、冬ならウール。クツシタを選ぶときはそう決めていた。
ところが、混み合う年末のショッピングモール、気がせいていたのだろうか。3足千円のワゴンで、100%化学繊維のクツシタを買ってしまった。
冷える日のことだった。あったか ふわもこの表示に引き寄せられてしまったのだ。
しまったなあ、と思いながら、新しいクツシタをはく。
はあっ…
思わず怪しい声が出た。
とろける感触。クツシタにこんな表現はヘンだと思うが、そうとしか言えないのだからしかたがない。
どこも締め付けず、フンワリしているのにしっかり暖かく、なにより肌触りがすばらしい。
業界の努力による素材の進歩には、まったく驚かされる。
クツシタなんて、はいてしまえば脱ぐまでとくに意識しないものだが、このクツシタをはくと
あったかいなあ… 気持ちいいなあ…
と、ずっと感じている。
3足千円のクツシタにも、シアワセはある。
そういうものを見つけながら、これからも生きていこう。そんなことを思う、年の暮れである。

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けーきの話。
お惣菜でも買って帰ろうと、立ち寄ったデパ地下は、夕方ということもあって大変な混雑。
大勢のオバサンとオネエサン、そして少しのオジサンの間を縫って、どうにかこうにかカニコロッケとサラダを買い、ホウホウのテイで比較的すいた方角に抜けたら、洋菓子店の前に出た。
クリスマスケーキご予約承ります
見れば予約の期限は今日まで。
クリスマスの連休、ムスコは模擬試験だし、ムスメはミュージカルを見に行くと言っていた。要らないかな、と思いつつ、ちょっと考えた。
子供も大きくなったが、なんだかんだで毎年、クリスマスはケーキで祝ってきた。
誰かが風邪を引いてたり、忙しくて家がめちゃめちゃで、ツリーどころじゃなかったり、お金がぜんぜんなかったり、いろんな年があったけど、ケーキを買って、切って、食べる、それだけは毎年やってきた。
高校生にもなれば彼氏彼女を作って、クリスマスにはいないものかと思っていたが、幸か不幸かそういうこともなく、ムスメとムスコと私、いいトシした3人がはしゃぐでもなく、もぐもぐケーキを食べる。
それがうちのクリスマスだった。
しかし、来年はムスメも社会人。クリスマスだからと実家に帰るわけにはいかないだろう。
首尾よく志望校に受かれば、春にはムスコも家を出て、遠くの街に住むことになる。
もしかしたらこれが、家族で食べる最後のケーキかもしれない。
雑踏に押され、ハッと我に返った。背筋を伸ばし、歩幅を大きくして、デパ地下の人ごみを抜ける。
駅に向かう地下街の通路は、しんしんと冷えていた。

(ムスメの今年の希望はブッシュドノエル)

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大勢のオバサンとオネエサン、そして少しのオジサンの間を縫って、どうにかこうにかカニコロッケとサラダを買い、ホウホウのテイで比較的すいた方角に抜けたら、洋菓子店の前に出た。
クリスマスケーキご予約承ります
見れば予約の期限は今日まで。
クリスマスの連休、ムスコは模擬試験だし、ムスメはミュージカルを見に行くと言っていた。要らないかな、と思いつつ、ちょっと考えた。
子供も大きくなったが、なんだかんだで毎年、クリスマスはケーキで祝ってきた。
誰かが風邪を引いてたり、忙しくて家がめちゃめちゃで、ツリーどころじゃなかったり、お金がぜんぜんなかったり、いろんな年があったけど、ケーキを買って、切って、食べる、それだけは毎年やってきた。
高校生にもなれば彼氏彼女を作って、クリスマスにはいないものかと思っていたが、幸か不幸かそういうこともなく、ムスメとムスコと私、いいトシした3人がはしゃぐでもなく、もぐもぐケーキを食べる。
それがうちのクリスマスだった。
しかし、来年はムスメも社会人。クリスマスだからと実家に帰るわけにはいかないだろう。
首尾よく志望校に受かれば、春にはムスコも家を出て、遠くの街に住むことになる。
もしかしたらこれが、家族で食べる最後のケーキかもしれない。
雑踏に押され、ハッと我に返った。背筋を伸ばし、歩幅を大きくして、デパ地下の人ごみを抜ける。
駅に向かう地下街の通路は、しんしんと冷えていた。

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じょしあな話。
キラキラとライトアップされた街はクリスマス。
寒風を避けて家路を急ぎながら、そういえばケーコと出くわしたのはこんな街角だったな、と思う。
新卒で就職したのは、とにかく忙しい会社だった。
時代はバブル、しかも年末。仕事はやってもやっても終わらないほどある。毎日毎日残業で、せっかくもらった給料もボーナスも、使う暇もない日々。
その日もクタクタに疲れて終電近い駅に向かっていた時、声をかけられた。
ぢょん子?ぢょん子じゃない?
学生時代のあだ名で呼ばれ、驚いて振り向くと、そこには知らない美人がいた。
ワンレングスの黒髪、流行りのボディコンを着こなして、街の灯のスポットライトを浴びたトレンディードラマの女優のようだ。
へ?
マヌケにもほどがある返事をした私に
忘れた?高2の時の… ケーコです
笑いながら言う顔を、まじまじと見る。
真っ黒に陽に焼け、ショートヘアでいつもジャージだったクラスメートの面影を、目の前の美人から、何とか見つけた。
女は変わるものだというがそれにしてもビックリだ。
今どうしてるの?と聞くと、ナントカ放送…と、テレビ局の名前。
へえ~、バイト?
と重ねて聞いたら、ケーコはこんな面白いことはないというように、キャラキャラと笑って
違うよ~ アナウンサー!
というので、また驚く。道理でキレイなはずだ。
ゴメンネ 仕事忙しくてテレビ見てないから…
慌てて謝った。
ケーコは新人女子アナとして注目され、帯番組にも出演しているらしい。
こっちは昨日と同じくたびれたスーツ、カカトの減ったクツ。朝したきりの化粧はとっくに剥げている。
懐かしそうに話すケーコを、それと知るらしい通行人が、チラチラ気にしながら通り過ぎていく。
またご飯でも行こうね!と言って別れたが、約束は果たされることなく、ケーコの活躍を時折テレビで見ながら、20年以上が経つ。
あの頃と違い、テレビを見る時間だけはたっぷりとあるが、今、彼女の姿はテレビの中にない。
私も、美人女子アナも50歳を過ぎたのだ。
ケーコどうしてるかな。調べればわかるんだろうが、検索はしないでいる。

(以上、奈良からお伝えしました…この人はケーコではありません)

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寒風を避けて家路を急ぎながら、そういえばケーコと出くわしたのはこんな街角だったな、と思う。
新卒で就職したのは、とにかく忙しい会社だった。
時代はバブル、しかも年末。仕事はやってもやっても終わらないほどある。毎日毎日残業で、せっかくもらった給料もボーナスも、使う暇もない日々。
その日もクタクタに疲れて終電近い駅に向かっていた時、声をかけられた。
ぢょん子?ぢょん子じゃない?
学生時代のあだ名で呼ばれ、驚いて振り向くと、そこには知らない美人がいた。
ワンレングスの黒髪、流行りのボディコンを着こなして、街の灯のスポットライトを浴びたトレンディードラマの女優のようだ。
へ?
マヌケにもほどがある返事をした私に
忘れた?高2の時の… ケーコです
笑いながら言う顔を、まじまじと見る。
真っ黒に陽に焼け、ショートヘアでいつもジャージだったクラスメートの面影を、目の前の美人から、何とか見つけた。
女は変わるものだというがそれにしてもビックリだ。
今どうしてるの?と聞くと、ナントカ放送…と、テレビ局の名前。
へえ~、バイト?
と重ねて聞いたら、ケーコはこんな面白いことはないというように、キャラキャラと笑って
違うよ~ アナウンサー!
というので、また驚く。道理でキレイなはずだ。
ゴメンネ 仕事忙しくてテレビ見てないから…
慌てて謝った。
ケーコは新人女子アナとして注目され、帯番組にも出演しているらしい。
こっちは昨日と同じくたびれたスーツ、カカトの減ったクツ。朝したきりの化粧はとっくに剥げている。
懐かしそうに話すケーコを、それと知るらしい通行人が、チラチラ気にしながら通り過ぎていく。
またご飯でも行こうね!と言って別れたが、約束は果たされることなく、ケーコの活躍を時折テレビで見ながら、20年以上が経つ。
あの頃と違い、テレビを見る時間だけはたっぷりとあるが、今、彼女の姿はテレビの中にない。
私も、美人女子アナも50歳を過ぎたのだ。
ケーコどうしてるかな。調べればわかるんだろうが、検索はしないでいる。

(以上、奈良からお伝えしました…この人はケーコではありません)

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がじょうの話。
今年もそろそろ、重い腰を上げなければならない。
年賀状の話である。
といっても大した年賀状ではない。市販の年賀状ムック頼み、それも毎年買い替えるわけではなく、数年は使いまわす。(→ ナガモチ本。)
友だちの名前を忘れないように、宛名こそ手書きだが、取りかかれば正味1日もかからない。
しかし、最近はその手間やハガキ代を惜しんで年賀状を出さない人も多いらしい。
年に1度、ふだん疎遠になっている人のことを思う、いい機会なのにもったいない。
もちろん、私だって、思い出していい気分になる人ばかりじゃない。
良からぬ記憶につながる人、複雑な気分になる人間関係だってあるけれど、そういうものをスパスパ切ってしまうと、人生は痩せる。貧しくなる。
時にムダな枝葉を張ってこそ、人は豊かになるのだと思う。
そうはいっても、知り人全部に同じように接触していてはこちらがもたない。濃淡ある人間関係のなかで、いちばん薄く人にかかわりが持てる、貴重な手段が年賀状なのだ。
年賀状のよさはちょっとキライな人にも出せること。52円を惜しんで、そのチャンネルを閉じてしまうのは惜しい。
世の中には、印刷だけの年賀状など意味がないといい、また人の出してきた年賀状の写真だの文面だのに、あれこれケチをつける人もいる。
家族写真をのせたら、幸せアピールと邪推され、近況を書けば自慢にとられ、それがイヤで年賀状をやめてしまう人もいる。
年賀状は来るか来ないかが全て。デザインや内容にケチつけるなんて、ヤボもいいとこだ。
だいたい若いヤツは、自分じゃたいした文章も書けないくせに、読むほうだけ深読みし過ぎなのである。
年賀状は差出人を見て、文面はチラッと見て、今年も来たな、と確認すれば、それでいい。
そうは言いつつ、出すからにはオシャレと思われたいのが、正直なところであるが。

(オシャレだけど一昨年買ったやつ)

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年賀状の話である。
といっても大した年賀状ではない。市販の年賀状ムック頼み、それも毎年買い替えるわけではなく、数年は使いまわす。(→ ナガモチ本。)
友だちの名前を忘れないように、宛名こそ手書きだが、取りかかれば正味1日もかからない。
しかし、最近はその手間やハガキ代を惜しんで年賀状を出さない人も多いらしい。
年に1度、ふだん疎遠になっている人のことを思う、いい機会なのにもったいない。
もちろん、私だって、思い出していい気分になる人ばかりじゃない。
良からぬ記憶につながる人、複雑な気分になる人間関係だってあるけれど、そういうものをスパスパ切ってしまうと、人生は痩せる。貧しくなる。
時にムダな枝葉を張ってこそ、人は豊かになるのだと思う。
そうはいっても、知り人全部に同じように接触していてはこちらがもたない。濃淡ある人間関係のなかで、いちばん薄く人にかかわりが持てる、貴重な手段が年賀状なのだ。
年賀状のよさはちょっとキライな人にも出せること。52円を惜しんで、そのチャンネルを閉じてしまうのは惜しい。
世の中には、印刷だけの年賀状など意味がないといい、また人の出してきた年賀状の写真だの文面だのに、あれこれケチをつける人もいる。
家族写真をのせたら、幸せアピールと邪推され、近況を書けば自慢にとられ、それがイヤで年賀状をやめてしまう人もいる。
年賀状は来るか来ないかが全て。デザインや内容にケチつけるなんて、ヤボもいいとこだ。
だいたい若いヤツは、自分じゃたいした文章も書けないくせに、読むほうだけ深読みし過ぎなのである。
年賀状は差出人を見て、文面はチラッと見て、今年も来たな、と確認すれば、それでいい。
そうは言いつつ、出すからにはオシャレと思われたいのが、正直なところであるが。

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あいさつ話。
月に一度お邪魔する事務所に、書類を持って行った。
用件を済ませて、上着とバッグを持って立ち上がりかけたら、応対してくださった方に
じゃあまた 良いお年を!
言われてギョッとして、中腰のまま一瞬動きが止まる。ハッと我に返って
ああハイ、ミカミさんも良いお年を!
と、いそいで返事した。
確かに次に来るのは来年だけど、ちょっと早すぎる。
12月はまだ半分以上残っている。1年の24分の1は、無視していい日数ではない。それを、まるでもう無いものみたいに、このご挨拶はいかがなものか。
昔はこの挨拶、年末休みに入る前だけだったように思うが、最近やたら時期が繰り上がっている気がする。
11月の初旬、地域のボランティアに顔を出した時、作業を終えて失礼しようと腰を上げると
お疲れ様~ 良いお年を~!
と、メンバーのイチカワさんに声をかけられた。
重ねていうが時は11月はじめである。驚く私に、イチカワさんはニヤリと笑って
だってぢょん子さん、今年はもう来ないでしょ 年内最後だから…
うっ、痛いとこを突かれた。12月は本業が忙しいのだ。いや、そうですよ、そうなんですけど、いくらなんでも早すぎやしないかい?
イチカワさんの理屈では、たとえば年に1回、夏しか会わない人に会ったら、あと4か月を残して「良いお年を!」と言うことになってしまう。
そういえば私には、花どきに花も見ず、集まってただ会食するウバザクラの会、というのがあるのだが、このメンバーにはだいたい、その時しか会わない。
酔っぱらったウバザクラ連中に「良いお年を!」と言ってみようか。まあ、春まで覚えてたらの話だけど。


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用件を済ませて、上着とバッグを持って立ち上がりかけたら、応対してくださった方に
じゃあまた 良いお年を!
言われてギョッとして、中腰のまま一瞬動きが止まる。ハッと我に返って
ああハイ、ミカミさんも良いお年を!
と、いそいで返事した。
確かに次に来るのは来年だけど、ちょっと早すぎる。
12月はまだ半分以上残っている。1年の24分の1は、無視していい日数ではない。それを、まるでもう無いものみたいに、このご挨拶はいかがなものか。
昔はこの挨拶、年末休みに入る前だけだったように思うが、最近やたら時期が繰り上がっている気がする。
11月の初旬、地域のボランティアに顔を出した時、作業を終えて失礼しようと腰を上げると
お疲れ様~ 良いお年を~!
と、メンバーのイチカワさんに声をかけられた。
重ねていうが時は11月はじめである。驚く私に、イチカワさんはニヤリと笑って
だってぢょん子さん、今年はもう来ないでしょ 年内最後だから…
うっ、痛いとこを突かれた。12月は本業が忙しいのだ。いや、そうですよ、そうなんですけど、いくらなんでも早すぎやしないかい?
イチカワさんの理屈では、たとえば年に1回、夏しか会わない人に会ったら、あと4か月を残して「良いお年を!」と言うことになってしまう。
そういえば私には、花どきに花も見ず、集まってただ会食するウバザクラの会、というのがあるのだが、このメンバーにはだいたい、その時しか会わない。
酔っぱらったウバザクラ連中に「良いお年を!」と言ってみようか。まあ、春まで覚えてたらの話だけど。


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かぶかの話。
年末になると、ムスメとムスコ、それぞれにちょっとしたプレゼントが届く。
食品会社の株主優待品である。
私は投資とかなんとかサッパリだが、父はずっと株をやっていた。
ムスメが生まれた時、お祝い金の代わりに
毎年お菓子が来るから 楽しみにしたらいい
と笑って、お菓子の会社の株をくれた。数年してムスコが生まれた時も
男の子はよく食うからな
と、今度は食品メーカーの株を、ムスコの名義にしてくれた。
以来毎年、両方の会社から、自社製品の詰め合わせが届く。
子供たちも少しものが分かるようになり、自分宛に来る荷物を楽しみにしはじめたし、年末のモノイリの時に食べるものが届くのは、本当にありがたい。
使えばなくなってしまうお金でもらうよりも、良かったな、とは思っていたが、株そのものについては無関心なまま、日々がうち過ぎた。
しかし、リーマンショックが報じられたとき、さすがの私も気になって、株価を調べてみた。
すると大変なことが起こっているのに気付いた。
ムスメのお菓子会社は業績を伸ばし、株価を下げるどころかわずかながら上げているのに対し、ムスコの食品会社の株価は不況を受けてか、大幅に下落している。
もらった時はそれぞれ、ほぼ同じ額だった株が、2倍の差になっているのである。
父にそれを言うと
あのお菓子 テレビでもよくCMやってるだろ 流行ってるからな
と、ちゃんと知っていた。同じきょうだいなのに、さすがに2倍の差は気になって
どうしよう… 差額分買い足してやったほうがいいかな?
と相談してみた。ふだんはずいぶん孫に甘いおじーちゃんである。なんなら下がった分買ってやるぞ、くらいのことは言うかと思っていた父は
株というのはそういうもんだ 下がることも、上がることもある… それは運だと思いなさい
と、ちょっと厳しい顔。
私が生まれるもっと前から、売ったり買ったり、痛い目に遭ったりもしてきた、1人の投資家の顔だった。
その父ももはや亡いが、株主優待は変わらぬ贈り物のように、2人の孫のもとに届く。


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食品会社の株主優待品である。
私は投資とかなんとかサッパリだが、父はずっと株をやっていた。
ムスメが生まれた時、お祝い金の代わりに
毎年お菓子が来るから 楽しみにしたらいい
と笑って、お菓子の会社の株をくれた。数年してムスコが生まれた時も
男の子はよく食うからな
と、今度は食品メーカーの株を、ムスコの名義にしてくれた。
以来毎年、両方の会社から、自社製品の詰め合わせが届く。
子供たちも少しものが分かるようになり、自分宛に来る荷物を楽しみにしはじめたし、年末のモノイリの時に食べるものが届くのは、本当にありがたい。
使えばなくなってしまうお金でもらうよりも、良かったな、とは思っていたが、株そのものについては無関心なまま、日々がうち過ぎた。
しかし、リーマンショックが報じられたとき、さすがの私も気になって、株価を調べてみた。
すると大変なことが起こっているのに気付いた。
ムスメのお菓子会社は業績を伸ばし、株価を下げるどころかわずかながら上げているのに対し、ムスコの食品会社の株価は不況を受けてか、大幅に下落している。
もらった時はそれぞれ、ほぼ同じ額だった株が、2倍の差になっているのである。
父にそれを言うと
あのお菓子 テレビでもよくCMやってるだろ 流行ってるからな
と、ちゃんと知っていた。同じきょうだいなのに、さすがに2倍の差は気になって
どうしよう… 差額分買い足してやったほうがいいかな?
と相談してみた。ふだんはずいぶん孫に甘いおじーちゃんである。なんなら下がった分買ってやるぞ、くらいのことは言うかと思っていた父は
株というのはそういうもんだ 下がることも、上がることもある… それは運だと思いなさい
と、ちょっと厳しい顔。
私が生まれるもっと前から、売ったり買ったり、痛い目に遭ったりもしてきた、1人の投資家の顔だった。
その父ももはや亡いが、株主優待は変わらぬ贈り物のように、2人の孫のもとに届く。


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なんねん話。
ちょっとした書類を書かねばならないことがあった。
住所氏名等々、記入事項の枠の中を埋めて、最後に日付のところで、ハタとペンが停まる。
今年って何年だ?
平成…27年?
西暦だと…2017年?
どっちも確信が持てなくて、ごそごそバッグの中を探し、手帖を出して表紙を見る。
DIARY
2016
平成28年
去年の今ごろ銀行でもらった手帖の表紙には、ハッキリと書いてあった。
今年、いったい何度、こうしてこの手帖の表紙を見ただろう。
もう1年も終わりだというのに、ついに今年が何年なのか、覚えられなかった。
もちろん、ちょっと考えて、自分や子供の年齢から計算すれば分かる。
しかし、私の脳みそのパッと出せる場所、机で言うなら一番上のひきだしには、平成28年も、西暦2016年も、収納されないままだった。
そうこうしているうちに、平成28年も西暦2016年も、もう終わりである。
はたして来年、私は年を覚えるであろうか。
えーっと、去年がああだったから…今年は平成28年、西暦2018年だわ!
という間違いを、何度もなんどもするのではないか。
今年もやっぱり、銀行の手帖は、もらっておいたほうがいいようだ。

(両方併記してあるのは意外に少ない)

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住所氏名等々、記入事項の枠の中を埋めて、最後に日付のところで、ハタとペンが停まる。
今年って何年だ?
平成…27年?
西暦だと…2017年?
どっちも確信が持てなくて、ごそごそバッグの中を探し、手帖を出して表紙を見る。
DIARY
2016
平成28年
去年の今ごろ銀行でもらった手帖の表紙には、ハッキリと書いてあった。
今年、いったい何度、こうしてこの手帖の表紙を見ただろう。
もう1年も終わりだというのに、ついに今年が何年なのか、覚えられなかった。
もちろん、ちょっと考えて、自分や子供の年齢から計算すれば分かる。
しかし、私の脳みそのパッと出せる場所、机で言うなら一番上のひきだしには、平成28年も、西暦2016年も、収納されないままだった。
そうこうしているうちに、平成28年も西暦2016年も、もう終わりである。
はたして来年、私は年を覚えるであろうか。
えーっと、去年がああだったから…今年は平成28年、西暦2018年だわ!
という間違いを、何度もなんどもするのではないか。
今年もやっぱり、銀行の手帖は、もらっておいたほうがいいようだ。

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けんけん話。
駐輪場のスタンドから愛機・白鹿号を外し、乗り込もうとしていた私の横を、60年配の女性のママチャリが、かなりのスピードですり抜けていく。
左足だけをペダルにのせ、クロスした右足で地面をけって加速、車体が安定したところでスイッとまたがり、快調に走って行った。
見事なケンケン乗り、関西でいうところのオバチャン乗りである。
外したチェーンロックをぶら下げたまま、思わず見とれてしまう。
プロっぽくて、カッコいいなあ。
私はあの乗り方ができない。
万事にオクテな私だが、自転車に乗れるようになるのも遅く、公道デビューはなんと中学に上がってから。
ケンケン乗りを身近に学ぶ機会もなく、まずサドルにまたがって、おもむろに漕ぎ出すというやり方しかできずに、今日まで来た。
私も50を過ぎて、年齢だけなら立派なオバチャンである。
しかし、同年配の女性に混じっていると、どうもハンパ者というか、アマチュア感が抜けない。
みんな堂々とプロの雰囲気を漂わせているのに、私だけがそわそわ、キョロキョロして、ガキっぽい。
身体は年齢なりになっても、いつまでもプロのオバチャンになれた気がしないのだ。
原因はきっと様々あるのだろうが、その1つはケンケン乗りじゃないか、と思ったりする。だからって、いまさら練習はしないけど。

(白鹿号は電動なのでケンケン乗りは危険らしいし)

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左足だけをペダルにのせ、クロスした右足で地面をけって加速、車体が安定したところでスイッとまたがり、快調に走って行った。
見事なケンケン乗り、関西でいうところのオバチャン乗りである。
外したチェーンロックをぶら下げたまま、思わず見とれてしまう。
プロっぽくて、カッコいいなあ。
私はあの乗り方ができない。
万事にオクテな私だが、自転車に乗れるようになるのも遅く、公道デビューはなんと中学に上がってから。
ケンケン乗りを身近に学ぶ機会もなく、まずサドルにまたがって、おもむろに漕ぎ出すというやり方しかできずに、今日まで来た。
私も50を過ぎて、年齢だけなら立派なオバチャンである。
しかし、同年配の女性に混じっていると、どうもハンパ者というか、アマチュア感が抜けない。
みんな堂々とプロの雰囲気を漂わせているのに、私だけがそわそわ、キョロキョロして、ガキっぽい。
身体は年齢なりになっても、いつまでもプロのオバチャンになれた気がしないのだ。
原因はきっと様々あるのだろうが、その1つはケンケン乗りじゃないか、と思ったりする。だからって、いまさら練習はしないけど。

(白鹿号は電動なのでケンケン乗りは危険らしいし)

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