ぼんぼん話。
むかし住んでいた町を歩く。
商店街の外れ、小学校の同級生が開業する、医院の前を通りかかった。こぎれいに改装し、駐輪場には子供乗せ自転車が数台。
サカタ医院のアホぼんといえば、近所でも有名だった。

色白でおとなしい彼の夢は、尊敬するお父さんの後を継ぎ、お医者さんになること。
家族にとって願ってもない進路だが、その道のりは傍の目にも厳しく見えた。
家庭教師をつけ、塾に行き、どうにか高校まで出たアホぼんだったが、医大入試は甘くない。
都会の予備校に通い、寮に入り、一浪、二浪…。月のかかりは10万や20万ではないだろう。
折しも時代はバブルまっただ中。その費用は、お母さんがプロ顔負けの不動産売買や株取引を繰り返して捻出した、というウワサだ。
四浪してやっと、遠い地方の、誰も知らない私立医大に受かったアホぼんは、病に倒れたお父さんの後を継ぐのに、なんとか間に合った。
若先生がアホぼんだったのは周知の事実である。
医院はたちまちさびれるかと思いきや、年寄りに優しく、子どもに親切で、ゆっくりと患者の話を聞く彼は、優秀なホームドクターだった。
難しい病気にはすぐ、大病院に紹介状を書いてくれるサカタ先生は、お父さんの時よりも、ずっと繁盛しているらしい。

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商店街の外れ、小学校の同級生が開業する、医院の前を通りかかった。こぎれいに改装し、駐輪場には子供乗せ自転車が数台。
サカタ医院のアホぼんといえば、近所でも有名だった。

色白でおとなしい彼の夢は、尊敬するお父さんの後を継ぎ、お医者さんになること。
家族にとって願ってもない進路だが、その道のりは傍の目にも厳しく見えた。
家庭教師をつけ、塾に行き、どうにか高校まで出たアホぼんだったが、医大入試は甘くない。
都会の予備校に通い、寮に入り、一浪、二浪…。月のかかりは10万や20万ではないだろう。
折しも時代はバブルまっただ中。その費用は、お母さんがプロ顔負けの不動産売買や株取引を繰り返して捻出した、というウワサだ。
四浪してやっと、遠い地方の、誰も知らない私立医大に受かったアホぼんは、病に倒れたお父さんの後を継ぐのに、なんとか間に合った。
若先生がアホぼんだったのは周知の事実である。
医院はたちまちさびれるかと思いきや、年寄りに優しく、子どもに親切で、ゆっくりと患者の話を聞く彼は、優秀なホームドクターだった。
難しい病気にはすぐ、大病院に紹介状を書いてくれるサカタ先生は、お父さんの時よりも、ずっと繁盛しているらしい。

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今は立派な先生様ですか~
昔を知っている人は行かないでしょうね。
お話をよく聞いてくれて、心配事も聴いてくださるのでしょうね。
病は気からって言いますし・・・・。
重い病気は大きな病院への紹介、十分頼りになります。
彼は、1~6年生まで「健康優良児」として表彰されるほど、肉体的には、
申し分ないボディーだった、けれど、
学力がヤバかった、
クラスで、下から1、2位のランキング、
でも、お父さんは、
「一級建築士」のお金持ち、
自らの事務所を構えた、
近隣でも有名な方、
そんな彼、
図工の時間には、あらゆる高価な材料を
持ってきて、
ほとんどみんなにあげたりしていました。
でも、自分の作品は、
とてもとても、「一級建築士」の
息子の欠片もない、
そんな彼は、小学校を卒業して、
私立中学に入学したらしい、
で、現在、「一級建築士」になり、
近隣でも有名な事務所をついでいます、
そういえば、6年生の秋ごろから、
なにか違う彼だった記憶、
猛勉強していたんだなぁ~
そんなこと、思い出しました。
気力も金力も相当なものです。
でも、今はいい先生なんですね。
優しい先生で本当に良かった。
適材適所で、無事キャリアを積んだ彼…。
人生なにがあるか、わかんないのね、としみじみします。
同級生はやっぱり行かないみたいですね。
孫を予防接種に連れて行ったという人はいました。
コメントありがとうございます。
良いお医者さんになれることと、学校がよくできることは同じではないでしょうね。
3時間待って3分診療みたいな病院は辛いですね。
うちの母もそうですが、心配事を聞いてもらうだけでスッと楽になるということもありますものね。
機械じゃなく人に診てもらうってそういうことですよね。
継ぐものがあるって、無いものから見ればうらやましいようですが、大変なんでしょうね。
うちの近所では内科小児科の医院が歯科医院になりました。息子さんが歯科大にしか入れなかったんだそうです。
私は小学校の時しか知りませんが、おっとりしたやさしい男の子でした。
お母さんはスゴイ女傑です!
彼が外科医だったら、私もちょっと考えちゃいますけどね。
これでいいってこともあるのかな。