がじょうの話。
今年もそろそろ、重い腰を上げなければならない。
年賀状の話である。
といっても大した年賀状ではない。市販の年賀状ムック頼み、それも毎年買い替えるわけではなく、数年は使いまわす。(→ ナガモチ本。)
友だちの名前を忘れないように、宛名こそ手書きだが、取りかかれば正味1日もかからない。
しかし、最近はその手間やハガキ代を惜しんで年賀状を出さない人も多いらしい。
年に1度、ふだん疎遠になっている人のことを思う、いい機会なのにもったいない。
もちろん、私だって、思い出していい気分になる人ばかりじゃない。
良からぬ記憶につながる人、複雑な気分になる人間関係だってあるけれど、そういうものをスパスパ切ってしまうと、人生は痩せる。貧しくなる。
時にムダな枝葉を張ってこそ、人は豊かになるのだと思う。
そうはいっても、知り人全部に同じように接触していてはこちらがもたない。濃淡ある人間関係のなかで、いちばん薄く人にかかわりが持てる、貴重な手段が年賀状なのだ。
年賀状のよさはちょっとキライな人にも出せること。52円を惜しんで、そのチャンネルを閉じてしまうのは惜しい。
世の中には、印刷だけの年賀状など意味がないといい、また人の出してきた年賀状の写真だの文面だのに、あれこれケチをつける人もいる。
家族写真をのせたら、幸せアピールと邪推され、近況を書けば自慢にとられ、それがイヤで年賀状をやめてしまう人もいる。
年賀状は来るか来ないかが全て。デザインや内容にケチつけるなんて、ヤボもいいとこだ。
だいたい若いヤツは、自分じゃたいした文章も書けないくせに、読むほうだけ深読みし過ぎなのである。
年賀状は差出人を見て、文面はチラッと見て、今年も来たな、と確認すれば、それでいい。
そうは言いつつ、出すからにはオシャレと思われたいのが、正直なところであるが。

(オシャレだけど一昨年買ったやつ)

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年賀状の話である。
といっても大した年賀状ではない。市販の年賀状ムック頼み、それも毎年買い替えるわけではなく、数年は使いまわす。(→ ナガモチ本。)
友だちの名前を忘れないように、宛名こそ手書きだが、取りかかれば正味1日もかからない。
しかし、最近はその手間やハガキ代を惜しんで年賀状を出さない人も多いらしい。
年に1度、ふだん疎遠になっている人のことを思う、いい機会なのにもったいない。
もちろん、私だって、思い出していい気分になる人ばかりじゃない。
良からぬ記憶につながる人、複雑な気分になる人間関係だってあるけれど、そういうものをスパスパ切ってしまうと、人生は痩せる。貧しくなる。
時にムダな枝葉を張ってこそ、人は豊かになるのだと思う。
そうはいっても、知り人全部に同じように接触していてはこちらがもたない。濃淡ある人間関係のなかで、いちばん薄く人にかかわりが持てる、貴重な手段が年賀状なのだ。
年賀状のよさはちょっとキライな人にも出せること。52円を惜しんで、そのチャンネルを閉じてしまうのは惜しい。
世の中には、印刷だけの年賀状など意味がないといい、また人の出してきた年賀状の写真だの文面だのに、あれこれケチをつける人もいる。
家族写真をのせたら、幸せアピールと邪推され、近況を書けば自慢にとられ、それがイヤで年賀状をやめてしまう人もいる。
年賀状は来るか来ないかが全て。デザインや内容にケチつけるなんて、ヤボもいいとこだ。
だいたい若いヤツは、自分じゃたいした文章も書けないくせに、読むほうだけ深読みし過ぎなのである。
年賀状は差出人を見て、文面はチラッと見て、今年も来たな、と確認すれば、それでいい。
そうは言いつつ、出すからにはオシャレと思われたいのが、正直なところであるが。

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年賀状、まだ私も書いておりまっせん。
といってもPCで打ち出すだけですが・・・・
後はちょっと添え書きする程度です。
疎遠な人との安否確認みたいなものですので、たいして凝ったところで、どうってことはないと思っております。
だんだん出す枚数も少なくなって、今年は100枚を切ってしまいました。
実は、もうやめようかなーと、今年初めて思いました。
薄い関係ばっかりなので、もういらん、と。
ついでに、本当に、毎年自慢ばっかりする旧友の賀状をまた見るのも、嫌で。
まあ、いつかまた出したくなったら出せばいいやと思い、一回大幅に切ってみます。
(すこーしは、出します。へへ。)
とホンの一瞬意気込みはするのですが、出すのは仕事関係の人がほとんどなので、結局無難なものになってしまいます。
それでも以前は友人には違うものを作っていましたが、だんだん面倒になって同じものを出すようになりました。
子供のころは年賀状書くの楽しかったんですけどね。
なかなか会えない人はともかく、しょっちゅう会う人にも一応出さなアカンのやろなぁ、っていう消極的な動機が億劫にさせるのかも……
こういう考え自体が良くないのかもしれませんけど。
私はちょこっとコメントを添えるくらいです。
で、昨日、嫁さんは年賀状を仕上げました。
ありがたい話であります。
年賀状はやっぱり貰うと嬉しいですね。
細い物かもかも知れませんがかろうじて関係が繋がっているという確認であり、証明でもありますから。
えっ?他人じゃない?
リアルの知人友人にはブログの存在をあまり知らせていない私ですので、もしかしたらとドキドキです。
それでも100枚近く出しておられるのはスゴイですね。やはり男性は交友関係が広い。
私はこんなエラそうなことを書いても80枚ソコソコです。えばれる枚数じゃないですね(恥)。
わーすごいなあ。
私の絵柄は完全に出来合い頼りです。
あて名をキレイな字で書こうと努力はしております。
おー若い若い、いいじゃないですか若くって。
旧友の自慢ってどんなんですか?私は近況と自慢の区別がつかないお人よしです。
拍手一番乗りありがとうございます。
私のつらい時代の年賀状の話も、2年ほど前にここにちょっと書いてます。良ければ読んでみてください。
http://okkanabikkuring.blog.fc2.com/blog-entry-321.html
私たち子供の頃は一枚ずつ書いていましたよね。今の子は、それもなし…。
あんなに字を書かないんじゃ、国語力が低下するのも仕方ないかなーと思います。
私、実は、年賀状だけでつながっているくらいの、うすーい人間関係って好きなんですよ。
お互いの生活にぐいぐい入り込んで、悩みを打ち明け合ったりする、濃ーい関係は苦手で。
そのくらいが一番、お互いいい人でいられる気もしますし。
なるほどそういう感じですか。視覚アピールですね。
私の友だちに1人、ご主人と仲良さげな旅先の写真ハガキを送ってくるのがいますが、ああいうのが自慢になるわけだ。