そぼのじ話。
週末は年賀状書き。
公私ともに字を書く機会が減り、ビックリするほどヘタになったので、宛名は手書きにしている。
今年の年賀状を見ながら、知る人の名前と住所を書くひと時は楽しい。
好きな人、そうでもない人、しょうじき言えばちょっと苦手な人。
いい人の住む場所には、ステキな名前がついている。
書き終えて、投函するぶんをバッグに入れたら、今年の年賀状は輪ゴムで止める。
来年のが届いたら、こちらは処分するのだ。
写真が載ってようが、偉い人からだろうが、わりに平気で捨てられる私だが、例外もある。
祖母の最後の年賀状も、その1枚である。
その年、もう松も取れようというころ届いたハガキは、はじめは誰からかわからなかった。
何年も、祖母の字なんて見ていなかったからだ。
若い頃は筆を持つのを億劫がらず、字も上手かった祖母。
印刷の謹賀新年の横に、
本年も宜しくお願い申し上げます
筆圧のない、細く頼りない字で書き添えられた、たった1行。
次の春を見ることなくして、祖母は亡くなった。「本年」は、3か月もなかったことになる。
時々取り出してみる、ヨロヨロの字のハガキは、永久保存版である。

(ついに愛用の「いろどり年賀」も無くなった)

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公私ともに字を書く機会が減り、ビックリするほどヘタになったので、宛名は手書きにしている。
今年の年賀状を見ながら、知る人の名前と住所を書くひと時は楽しい。
好きな人、そうでもない人、しょうじき言えばちょっと苦手な人。
いい人の住む場所には、ステキな名前がついている。
書き終えて、投函するぶんをバッグに入れたら、今年の年賀状は輪ゴムで止める。
来年のが届いたら、こちらは処分するのだ。
写真が載ってようが、偉い人からだろうが、わりに平気で捨てられる私だが、例外もある。
祖母の最後の年賀状も、その1枚である。
その年、もう松も取れようというころ届いたハガキは、はじめは誰からかわからなかった。
何年も、祖母の字なんて見ていなかったからだ。
若い頃は筆を持つのを億劫がらず、字も上手かった祖母。
印刷の謹賀新年の横に、
本年も宜しくお願い申し上げます
筆圧のない、細く頼りない字で書き添えられた、たった1行。
次の春を見ることなくして、祖母は亡くなった。「本年」は、3か月もなかったことになる。
時々取り出してみる、ヨロヨロの字のハガキは、永久保存版である。

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宝物ですね。
年賀状。
最近落ち目のようです。
デジタル時代だからそ手書きに価値と意味があるのかも知れません。
私、字が下手過ぎます。
自分でも読めない時が良くあります。
プリントごっこあたりですかね。
お祖母さまの、手書きの年賀状はすばらしいですね。
手書きのほうが、心がこもってる感じがしますね。
まぁ、たくさん出される方は、そうはいかないでしょうけど。
私は、枚数が少ないので、イラスト入りのを購入して、一言メッセージと、宛名は手書きにしてます。
最近は印刷が多くなり、なんか味気ない気がします。
そういう自分もそうですが・・・
でも必ず手書きで一言書き添えるようにしております。
おばあちゃんの年賀状懐かしいでしょうね。
字の練習のつもりで年賀状を書いていますが、そう何百枚も書くわけじゃないので。
はじめのうちはどうも調子が出ず、われながら下手だなあと幻滅し、枚数を重ねて、ようやく調子が出たと思ったら最後の1枚…そんなことを毎年繰り返しています。
やっぱり家庭用プリンターの普及からじゃないでしょうか。
プリントゴッコって結構手間もかかったし、宛名は手書きでしたもんね。
年を取りますと喪中のお知らせも多くて寂しいものがありますね。
今年は3枚でした。中の1人はとくに親しい人なので、残念です。
私もどうにか25日までに出すことができました。
自分の字は気になりますが、いただく年賀状の字がヘタだと思ったことはないので、他の方もきっとそうだと信じて、気を取り直します。