くらげの話。
父は結婚が遅かったので、長女の私は35歳で生まれた。
育児は女の仕事という昔ニンゲンなうえ、その頃の日本は高度成長期、サラリーマンが一番仕事してた時代。
朝は子どもの寝ているうちに出て行き、帰りは子どもが寝たあと。土曜日だって仕事がある。どんな会社でも、モーレツに働いていた時代だ。
「おとーさんに遊んでもらう」なんてめったにないし、父親は親しみ深い存在じゃなかった。
それでも夏休みはみんなで海に出かけた。
「二十四の瞳」とオリーブの島小豆島の民宿が気に入って、何年か続けて行っていた。
家庭的な宿だが、部屋のもうすぐそこが海で、着替えてすぐ飛び出し、一日中遊ぶ。
少し時期が遅かったのか、クラゲの多い時があった。
刺されたらすぐ水道水で洗えば、ウソのように痛みは引くのだが、何度も刺されてイヤになった私とイモートは、砂浜でふてくされていた。
すると、海の中に立っている父が、おーいと何か合図している。つかみ出すようにして、大きなモーションで何かを投げてよこした。
砂浜に、不思議なゼリーのようなものがボテンと落ちた。
クラゲだ。動くこともできず、カサを裏返しにひっくりかえっている。
チクチクと不快な目に遭わせるものの、情けない正体を見て、私たちはコーフンした。
やっつけよう!クラゲ退治だ!
父が投げてよこすクラゲを、熱い砂に埋める。それだけのことに、暗くなるまで熱中した。娘たちはずいぶん小さかったし、父も若かった。
世の中が落ち着く頃には、父は初老を過ぎていた。はっと気づけば父は「おじーちゃん」だった。
ずっとそうだった気がするが、おじーちゃんにだって若い父親のときはあったのだ。
海の中に立ち、つかんだクラゲを高く高く掲げて見せた、父はもういない。
あの時の父は、今の私よりずっと年下だったんだな、などと思う、夏の終わり。

(「父」ではなく「大」)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング
育児は女の仕事という昔ニンゲンなうえ、その頃の日本は高度成長期、サラリーマンが一番仕事してた時代。
朝は子どもの寝ているうちに出て行き、帰りは子どもが寝たあと。土曜日だって仕事がある。どんな会社でも、モーレツに働いていた時代だ。
「おとーさんに遊んでもらう」なんてめったにないし、父親は親しみ深い存在じゃなかった。
それでも夏休みはみんなで海に出かけた。
「二十四の瞳」とオリーブの島小豆島の民宿が気に入って、何年か続けて行っていた。
家庭的な宿だが、部屋のもうすぐそこが海で、着替えてすぐ飛び出し、一日中遊ぶ。
少し時期が遅かったのか、クラゲの多い時があった。
刺されたらすぐ水道水で洗えば、ウソのように痛みは引くのだが、何度も刺されてイヤになった私とイモートは、砂浜でふてくされていた。
すると、海の中に立っている父が、おーいと何か合図している。つかみ出すようにして、大きなモーションで何かを投げてよこした。
砂浜に、不思議なゼリーのようなものがボテンと落ちた。
クラゲだ。動くこともできず、カサを裏返しにひっくりかえっている。
チクチクと不快な目に遭わせるものの、情けない正体を見て、私たちはコーフンした。
やっつけよう!クラゲ退治だ!
父が投げてよこすクラゲを、熱い砂に埋める。それだけのことに、暗くなるまで熱中した。娘たちはずいぶん小さかったし、父も若かった。
世の中が落ち着く頃には、父は初老を過ぎていた。はっと気づけば父は「おじーちゃん」だった。
ずっとそうだった気がするが、おじーちゃんにだって若い父親のときはあったのだ。
海の中に立ち、つかんだクラゲを高く高く掲げて見せた、父はもういない。
あの時の父は、今の私よりずっと年下だったんだな、などと思う、夏の終わり。

(「父」ではなく「大」)

にほんブログ村

日記・雑談ランキング
スポンサーサイト
お父さんとの思い出がクラゲでしたか~
それでも羨ましい。
私の父は私が満3歳の時に亡くなりました。
昭和20年終戦の年です。
ですから父との思い出は全くありません。
楽しかった思い出ですね。
夏って、鮮明な思い出が多い季節ですよね・・・
私は、父の背中に乗って泳いでもらうのが大好きで、何度も何度もせがみました。
直視できない日差し、深い藍色の海、ねばつく潮風、しょっぱい水しぶき、波の抵抗、昨日のことのようです。
あの頃、何も怖いものがなかったのは、父がいたからでしょうか。
いや、『ザ・ガードマン』の夏の怪談特集は超怖かった
親父の後を追っかけて、結局、親父の大きさには届かない。
親父が逝ってもう25年・・・墓参りがしたくなりました。
私の父は、終戦の時ちょうど30歳でしたね。
30歳を娘も通り過ぎた時、「ああ、30歳って若かったんだ!」と痛切に感じました。
2歳の時に父の片腕に抱っこして取ってもらった写真の記憶がまだ残っています。(写真を見るから、そう思うのかも)
(皆さんが書いてらっしゃるので、私も計算してみました。)
父の手を離さなかった夏の海。
父に抱っこされて移動した熱い砂浜。
若く、頼もしい父。
今日は、ぢょん・でんばあさんのブログももちろんですが、皆さんのコメントにも、過ぎ去った思い出の夏を懐かしんだポンたんです。
でも素手でクラゲは投げられない;;
がんばってもスライム。
お父様は愛と勇気に満ち溢れた方だったのですね(*^^*)
うちの父は戦争で父親を亡くしており、家庭を大事にしたいという気持ちは人一倍あったようですが、じゃあ何をすればいいのか、どうしたらいいのか、分からずに手をつかねている不器用な人でした。
父と一緒に何かした、という楽しい思い出は、本当にこれくらいしかないのです。
それでも、あって良かったなと思います。
そういえば、妹も父の背中にのせてもらっていましたね。
それを見た記憶がありますが、自分がのせてもらった記憶はないのです。
私は随分と怖がりだったのだと思います。
男性はまた、父親に対して別な思いがあるのでしょうね。
女の子にとっての父親は、不思議な距離のある存在で、お互いが近づくのを避けているような…。
今の「育メン」お父さんなどだと、また違うのでしょうか。
私はずっと子供のころ、「うちのお父さんはよそのお父さんより年寄り」と思っていたし、現にそう見えたのですが、この度ちゃんと年の勘定してみたところ、35で生まれたって全然おじいさんじゃなかったとビックリしました。
私が下の子を産んだのも35だし…。
「うちのお母さんはよそのお母さんより年寄り」って、息子が思ってたらいやだなあ…。
昔の海の思い出は、茶色く日焼けしたカラー写真のように懐かしいものですね。
若者が大きな音で音楽をかけたり、お酒や花火で羽目を外したりしているという、今の夏の海辺には、こんな親子の思い出はあるのでしょうか。
私もついおセンチになってしまいました。
私が下の息子を産んだのも35の時ですよ。ずっと「うちのお父さんは年がいってる」と思ってたのに、勘定してみたら私と同じなんです。なんか、へこむわー。
父は若い時野球をしていて、ピッチャーだったのですよ。ほんとは息子とキャッチボールなんかしたかったんだと思いますが、娘ばっかり生まれて、内心ガッカリしてたんじゃないかと思います。