ちょうぜつ話。
行きたかった展覧会がもうすぐ終わるので、慌てて見に行く。

木彫、陶磁、金工など、近代以降の日本の工芸の粋を集めた展示である。
かつて万国博覧会に出展された日本の工芸品は、ひろく自然の事物に題を取り、それらを繊細に再現する技術で、西欧人を驚かせたという…
と書くともっともらしいが、この展覧会の眼目は
超絶そっくり!
ということであろう。
果物、虫、花、鳥、野菜…、誰しも目にしたことのあるものが、金属や木材、陶土という硬い素材を用い、本物と見紛う精巧さで再現されている。
1つとして、テキトーに作りましたというものはない。
どれどれ本物と違うところはないかしら、などと粗探しする、俗物の視線を跳ね返さんばかりの、とんでもない技術と努力の集成である。
展示の間を縫って歩きながら、奇妙な感覚に襲われた。
この牙彫のキュウリが、もし本物だったとしても、誰にも分らない。
この大蛇が、もし金属じゃなく本物の骨格標本だとしても、誰にも分らない。
もしかして私は、ケースの中に納まった、実物のトマトを、カマキリを、干し柿を、タンポポを、拝見しているのじゃないのだろうか。
手にとれない状況で、こういう作品を観る意味とは何だろうか。
とんでもなくソックリなものほど、作品としてのありがたみを失うという、不思議な現象がそこに起きていた。
記念にと、エハガキを手に取ったが、写真は実物以上にまるでホンモノで
バナナの写真買ってもなあ…
買わずに棚に戻した。

(「パイナップル、バナナ」牙彫 安藤緑山)
あべのハルカス美術館「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」展は、14日まで。→驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ

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木彫、陶磁、金工など、近代以降の日本の工芸の粋を集めた展示である。
かつて万国博覧会に出展された日本の工芸品は、ひろく自然の事物に題を取り、それらを繊細に再現する技術で、西欧人を驚かせたという…
と書くともっともらしいが、この展覧会の眼目は
超絶そっくり!
ということであろう。
果物、虫、花、鳥、野菜…、誰しも目にしたことのあるものが、金属や木材、陶土という硬い素材を用い、本物と見紛う精巧さで再現されている。
1つとして、テキトーに作りましたというものはない。
どれどれ本物と違うところはないかしら、などと粗探しする、俗物の視線を跳ね返さんばかりの、とんでもない技術と努力の集成である。
展示の間を縫って歩きながら、奇妙な感覚に襲われた。
この牙彫のキュウリが、もし本物だったとしても、誰にも分らない。
この大蛇が、もし金属じゃなく本物の骨格標本だとしても、誰にも分らない。
もしかして私は、ケースの中に納まった、実物のトマトを、カマキリを、干し柿を、タンポポを、拝見しているのじゃないのだろうか。
手にとれない状況で、こういう作品を観る意味とは何だろうか。
とんでもなくソックリなものほど、作品としてのありがたみを失うという、不思議な現象がそこに起きていた。
記念にと、エハガキを手に取ったが、写真は実物以上にまるでホンモノで
バナナの写真買ってもなあ…
買わずに棚に戻した。

(「パイナップル、バナナ」牙彫 安藤緑山)
あべのハルカス美術館「驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ」展は、14日まで。→驚異の超絶技巧!明治工芸から現代アートへ

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本物をケースに入れて展示会でもやってみますか。
お金はとれるかな?
本物そっくりだけど『本物じゃない』何かを、
感じさせてほしいですね。
意外な材料で予想外のものを作る場合、材料がすぐに判別できてこそ驚きがあるんです。
そうじゃないと単なる “模写” になってしまいます。
これじゃ面白くない。
面白いのは陶器で作った本とか。
勿論陶器だってすぐに分からないといけません。
バナナとカブトムシの展覧会ですか~。
それはそれで見ごたえがある気もしますね。
昔、高村光太郎の木彫のセミを見たことがあります。
手の中に木切れを握って削った姿が見えるような作品でした。
ああいうのが好みですね。
私は本の形がしたものをすぐ買ってしまう癖があります。
ブック型の缶に入ったチョコレートとかね。
陶器の本もいいですね。「あるかしら書店」みたいです。