かんそう話。
ムスコの夏休みも今日が最終日。
友だちの誘いで、フラフラと出かけて行ったが、宿題はどうなったのであろうか。
高校生にもなれば、やってようがやってまいが、もはや親の関知するところではなく、いたって気楽である。
今ごろ世の小・中学生諸君(及びその親御さん)には、半泣きでドリルやら模造紙やらと取り組んでいる方も多かろう。
お気の毒様だが、親も子も、その時期はそれが仕事なので致し方ない。がんばれーとしか言えない。

日本の学校には、夏休みに読書感想文を書かせるという、とりわけ悪しき風習があり、それが日本の子どもを読書から遠ざける働きを担っている。
しかし私は子どもの頃、読書感想文を書くのが得意であった。
同級生が難渋しているのを横目に、3つも4つも書いては自分で読み比べ、一番デキのいいのを提出する、という余裕綽々っぷり。
スレッカラシの私に言わせれば、読書感想文というのは、本を読んで内容に感激してちゃ書けないのだ。
本は感想文の材料であって、読むときからどこを使おっかな~という下心を、しっかり持たなきゃいけない。
その材料を使って、作者の言いたいこと、じゃなくて自分の書きたいことを書く。それがコツだ。
材料が取れるなら、本文じゃなくってもいい。挿絵でも、帯でも、カバーの文句でもかまわない。どうしても読む気がしなかった文庫本の、解説だけ読んで感想文を書いたこともある。
ムスメが小学生の時、読書感想文が書けないと困っていることがあった。
とっても面白い本だった。大好きなんだけど、何を書いていいかわからない!
せっかく楽しく本を読んだのに、感想文のせいでメソメソしているムスメに、思わずこう言った。
他のぜんぜん好きじゃない本の感想にしなさい。そして心にもないことを書きなさい
心に感じたことを、書いて伝えるのは難しい。子どもにそんな高度なことを要求するのは、ただ酷だ。
心にもないことでいい。ウソでいい。書けることだけ書けばいい。あなたの大事なホントの気持ちを、こんなとこに書かなくてもいい。
もし原稿用紙を前にして、メソメソしている子がいたら、そう言ってあげたいと思う。

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友だちの誘いで、フラフラと出かけて行ったが、宿題はどうなったのであろうか。
高校生にもなれば、やってようがやってまいが、もはや親の関知するところではなく、いたって気楽である。
今ごろ世の小・中学生諸君(及びその親御さん)には、半泣きでドリルやら模造紙やらと取り組んでいる方も多かろう。
お気の毒様だが、親も子も、その時期はそれが仕事なので致し方ない。がんばれーとしか言えない。

日本の学校には、夏休みに読書感想文を書かせるという、とりわけ悪しき風習があり、それが日本の子どもを読書から遠ざける働きを担っている。
しかし私は子どもの頃、読書感想文を書くのが得意であった。
同級生が難渋しているのを横目に、3つも4つも書いては自分で読み比べ、一番デキのいいのを提出する、という余裕綽々っぷり。
スレッカラシの私に言わせれば、読書感想文というのは、本を読んで内容に感激してちゃ書けないのだ。
本は感想文の材料であって、読むときからどこを使おっかな~という下心を、しっかり持たなきゃいけない。
その材料を使って、作者の言いたいこと、じゃなくて自分の書きたいことを書く。それがコツだ。
材料が取れるなら、本文じゃなくってもいい。挿絵でも、帯でも、カバーの文句でもかまわない。どうしても読む気がしなかった文庫本の、解説だけ読んで感想文を書いたこともある。
ムスメが小学生の時、読書感想文が書けないと困っていることがあった。
とっても面白い本だった。大好きなんだけど、何を書いていいかわからない!
せっかく楽しく本を読んだのに、感想文のせいでメソメソしているムスメに、思わずこう言った。
他のぜんぜん好きじゃない本の感想にしなさい。そして心にもないことを書きなさい
心に感じたことを、書いて伝えるのは難しい。子どもにそんな高度なことを要求するのは、ただ酷だ。
心にもないことでいい。ウソでいい。書けることだけ書けばいい。あなたの大事なホントの気持ちを、こんなとこに書かなくてもいい。
もし原稿用紙を前にして、メソメソしている子がいたら、そう言ってあげたいと思う。

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この言葉にパッと昔受けた共通一次試験の事を思い出しました。
長文読んで「筆者はきっとこう思ってるに違いない!」な~んて思い込んでしまうとテキメン間違い。
感動したら負け、文章に書いてないことは答えではない。現代国語の鉄則でしたね~。
読書感想文がキライで解説・後書きだけ読んでテキトーに済ませていた私ですが、鉄則を守ることで現代国語のデキは良かったです。
…懐かしいなぁ。
感想文ね~私も苦手だった。
感想文の得意な人は羨ましいです。
なるほどそんなコツがあるんですか~
今度孫が悩んでいたら教えてあげよう。
自分の思ったことを正直に書くような素直な子供じゃなかったし~
子どもらしい感想を大人向けに考え、書いたなあ。なつかしい。
娘も、この夏休みの宿題で読書感想文が出ました。
枚数が埋まらないと嘆いているから、
「接続詞と改行を多くしなさあい」
と言いました。ははは。
パチパチパチパチパチパチパチパチパチ✋✋✋
拍手です!
ポンたんの手はぢょん・でんばあさんへの賞賛の拍手で、赤くなっちゃったほどです!
ブラボー!ブラボー!
愉快!痛快!怪物くんです!
ただ、そいうい私は、ぢょん・でんばあさんと同じで、読書感想文というと、書きたくて喜んじゃう方でしたが・・・
清水義範の「国語入試問題必勝法」思い出しました。ホント冗談じゃなくそんな感じでしたね。
そして、「共通一次試験」!
娘の入試の時、何度も何度も「センター試験」を「共通一次」と言ってしまい、しまいには学校の三者面談でまで間違って、先生に失笑されてしまいました。
お孫さんにそんなこと教えたら、お父さんお母さんに怒られちゃうかもしれませんよー(笑)。
私は学校のお勉強を茶化すようなことばかり言うので、逆に子どもにたしなめられています。
学校がすべてじゃないよっていうことを言いたいのですが。
作文得意な人ってそうだよね。
解説だけ読んだ感想文が県の代表になった時はちょっと焦りました。
娘は、小6の時の自由研究の表紙だけ変えて高校の夏休みの宿題に提出したら、何かの賞をもらってしまって、かなり焦っていました。
やはり、昔から書くことはお好きだったのですね。
お仲間と思っていました。
そして、褒めてくださって嬉しいです。なかなかこういう乱暴な意見に賛同してくれる方は少ないので…。
目の前がパッと明るくなりました。
高校の時、夏休みの宿題で論文を書かなきゃいけなくて
(セレブ校ではありません。公立です)
本を3冊斜め読みし、気になった部分を丸写しで書いたら
そのままクラス代表として学校が発行する小冊子に載ってしまいました。
参考文献としてその3冊を挙げましたし
校内用なので一般の人は読まない物だったから大丈夫だと思いますが
感想文って、そういう事なんですね。
あながち間違ってなかったんだ、、
そうそう、私たち子どものとき、親は知らんぷりでしたよね。だからメチャクチャでもどうにかするしかなかった。
われわれ含め、今の親は面倒見がよすぎるのかなあ。
ある意味極論だろうとは思うんですけどね。
でも、本を読んで感動した時、その感動を人に伝えるのに、もとの本とわざわざ別の文章に書きかえるなんてことできるはずがない。それができるんなら、そもそも文学作品なんて不要なことだと思っちゃうんです。
そういう意味で、内容を抜粋したraumui さんの感想文は大正解!じゃないでしょうか。
本はたくさん読むんですけど、どれ一つ一行も書けなくて、
夏休み最終日に原稿用紙の前でメソメソしたクチです。
子どもの頃に、ぢょん・でんばあサンに会いたかったなぁ~(^^)
コメントありがとうございます。
本が好きな子のほうが、感想文で悩むんですよね~。悲しい思いをしましたね。
大人になって良かったことは、夏休みに宿題のないことです(笑)。
その通りです。
丸谷才一が書いておりました。
「読者感想文は一種の書評だ。
書評を子供に書かせるのは無理がある」
ウロ覚えですが、このようなことだったと記憶しております。
もし子供に読者感想文を書かさないと気が済まないなら三者択一にすればいいんです。
A 面白かった
B フツー
C つまらない
思った記号に丸を打て。
これでいいんです。
感想文のみならず、私は学校が子どもの読書に介入すること全般に反対です。
そんなことより学校図書館を充実させ、司書を置け!と言いたい。
古本置場みたいな図書館が多すぎます。