おわりの話。
平成が終わると皆が騒いでいるが、特に感慨はない。
つねづねイベント嫌いでへそ曲がりの私ではあるが、この響かなさ加減は何ゆえだろうか。
まず平成という年号が、合わない衣服のように、いまだにシックリしない。
平成(仮)という感じで、30年以上続いた実感がないのだ。
平成元年、私は既に社会人であった。
契約書や伝票の年号を2重線で訂正して書き直した記憶もはっきりとある。(→ へいせい話。)
つまるところ、平成がやってきた時点で人格形成が完了しており、昭和と同様のインパクトが加わることは無かったということかもしれない。
しかし、思い返せばこの30年。
オトコと知り合い、結婚して、ムスメが生まれ、ムスコが生まれ、そうかと思えば離婚して、その合間に仕事も住まいも転々と変えた。
ボンヤリ子供をしていた昭和の時代より、オバサンからバアサンに向かう令和より、はるかに色々あったはずなのだ。
にもかかわらず、私という人間が、芯のところで変わらなかったことは、もしかしたら自慢に思っていいのだろうか。
いま、ムスメは平成を迎えた時の私と同い年である。
新しい時代、何があっても、今の彼女と変わらずにいてほしいと思われてならない。


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つねづねイベント嫌いでへそ曲がりの私ではあるが、この響かなさ加減は何ゆえだろうか。
まず平成という年号が、合わない衣服のように、いまだにシックリしない。
平成(仮)という感じで、30年以上続いた実感がないのだ。
平成元年、私は既に社会人であった。
契約書や伝票の年号を2重線で訂正して書き直した記憶もはっきりとある。(→ へいせい話。)
つまるところ、平成がやってきた時点で人格形成が完了しており、昭和と同様のインパクトが加わることは無かったということかもしれない。
しかし、思い返せばこの30年。
オトコと知り合い、結婚して、ムスメが生まれ、ムスコが生まれ、そうかと思えば離婚して、その合間に仕事も住まいも転々と変えた。
ボンヤリ子供をしていた昭和の時代より、オバサンからバアサンに向かう令和より、はるかに色々あったはずなのだ。
にもかかわらず、私という人間が、芯のところで変わらなかったことは、もしかしたら自慢に思っていいのだろうか。
いま、ムスメは平成を迎えた時の私と同い年である。
新しい時代、何があっても、今の彼女と変わらずにいてほしいと思われてならない。


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姉とも話してたんですけど、あきらかに昭和よりも平成が長く生きているはずなのに、『昭和のほうがしっくりくるな~わたしら、昭和な人間やで(笑)』と。私は平成元年は、19歳から20歳へと変わる年で、人生の前半のほうが、密度が濃くて印象に残るんでしょうか?
ただ、一つの時代が終わるんだな~といった感じかな?
でもいろいろあった平成。
振り返ってみるのもいいのかも・・
上皇になってもそのお顔をまたいっぱい見たいな。
やっぱりそうですか?
私はwancoさんのお姉さんと同じくらいかな、やっぱ年号は昭和よねーって感じです。
渋谷の大騒ぎにはあきれました。
振り返りはそれぞれが、1人静かに…。
へえー、そうなんですか。
年代的なものかなあ。