かぼちゃの話。

今日は冬至。
ゆず湯もいいが( →ゆずゆの話。)、もう1つ冬至につきものなのがカボチャ。
関西ではカボチャをナンキンと呼び、イモタコナンキンといえば女性の好物の代表である。
女性のハシクレである私、じつはイモやカボチャがあまり好きでない。実家でほとんど食べなかったので、食べ慣れないせいかと思う。
うちでカボチャを食べなかったのは、家長である父がキライだったからである。
父は戦中派の最後のシッポくらいの世代。いちばんお腹の減る時期に戦争を体験した。
たまにおイモやカボチャが食卓に上ると
戦争中に一生分食った…
みるみる機嫌が悪くなり、お鉢を遠ざけた。
痩せた土地で、畑仕事に不慣れな人間も栽培できたカボチャは、貴重な栄養源であったはずだが、父には戦時の象徴だったのだ。
中学のグラウンドにカボチャを植えた話を、1度だけ聞いたことがある。
学生時代は野球部で、ピッチャーだった父。
グラブを持って立つマウンドを、目指して走ったホームベースを、クワで耕すのは、中学生の父にとって、とても辛いことだったろう。
もっと辛かったのは、そうして収穫したカボチャしか、食べものがなかったことかもしれない。
父は亡く、孫たちもその頃の父より年上になった。
いま1人暮らしの私は、好きでもないのに買ったカボチャを眺め、何にしようか考えている。
本日早朝より他出のため、2016年12月21日の記事を再掲いたします。

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私はかぼちゃスープが好きです。
戦後何もないとき庭にかぼちゃが沢山実ってました。
毎日のようにかぼちゃだったんですがおとおさんのように嫌いにはなりませんでした。
嫌というほど、食べたので嫌いというのも解る気がします。嫌な思い出とつながっているから、食べるのは嫌なのかな。
母も子供の頃、何も食べ物が無くて、お米の節約のために、サツマイモばかりのお粥が嫌で、お米をお腹いっぱい食べたいと思っていたようですが、サツマイモは今も好きで食べています。母は食いしん坊だからかな?
母は戦時中、食べ物がなく芋の蔓を食べていたと言ってました。
かわいそうに。
国民を飢えさせちゃイカン!
私も自分で作るカボチャ料理はなかなかおいしいじゃんと自負しています。
ベーコンと煮た洋風の煮物は子供たちの好物です。
カピバラの柚子湯、今年もニュースでやってましたね。
カピバラはどう思ってるんやろう。「風呂はぬくうてエエけど、このミカンがジャマやなあ」とか(笑
食べ過ぎて嫌いになる、食べ慣れなくて好きになれない、理由は色々ですね。
芋のツル、知人のお料理で食べたことがあります。
案外美味しいものだと思ったけど、そればかりはイヤだなあ。