マンボウ本。
数が多いことを、つい「ゴマンとある」などと言ってしまう。
両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。
どうやら、子供の頃「どくとるマンボウ」を読んだせいらしい。

(「どくとるマンボウ航海記」 中公文庫)
その頃筆者は既にその文名を馳せ、ベストセラー「どくとるマンボウ」は文庫化されていた。
小遣いの乏しい中学生は、それすら易々とは買えず、古本屋の50円均一棚を探しに探した。
何が面白かったのだろう、いうならば、いちびる以外の笑わせ方を知った、ということだろうか。
いちびるというのは、関西弁で「図に乗ってふざける」という意味である。
学校のどのクラスにも、面白い、と言われる子は必ずいて、皆を笑わせている。
すっとんきょうな発言や、こっけいな表情、度を超えた悪ふざけ。
いちびりと呼ばれるそんな同級生につい笑わされながらも、人を笑わせるなんてあんまり立派なことじゃない、と思っていた。
しかし、どくとるマンボウはいちびらない。
何しろインテリでお医者さまで、偉大な歌人を父親に持つ芥川賞作家なのである。
教養があって、上品で、終始大マジメなのに、なおかつオモシロイ。
中学生の私はその不思議に驚き、新しい感覚に目を開かれた思いだった。
残念なことに躁病期に入って、どくとるマンボウもいちびり始めたので、生意気になりだした私は興ざめし、新刊は読まなくなった。
小さな田舎の古本屋に通って集めた初期の文庫本も、いつの間にか散逸して手元にはもう無い。
没後10年を記念し、2015年10月24日の記事を再掲載いたします。

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両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。
どうやら、子供の頃「どくとるマンボウ」を読んだせいらしい。

(「どくとるマンボウ航海記」 中公文庫)
その頃筆者は既にその文名を馳せ、ベストセラー「どくとるマンボウ」は文庫化されていた。
小遣いの乏しい中学生は、それすら易々とは買えず、古本屋の50円均一棚を探しに探した。
何が面白かったのだろう、いうならば、いちびる以外の笑わせ方を知った、ということだろうか。
いちびるというのは、関西弁で「図に乗ってふざける」という意味である。
学校のどのクラスにも、面白い、と言われる子は必ずいて、皆を笑わせている。
すっとんきょうな発言や、こっけいな表情、度を超えた悪ふざけ。
いちびりと呼ばれるそんな同級生につい笑わされながらも、人を笑わせるなんてあんまり立派なことじゃない、と思っていた。
しかし、どくとるマンボウはいちびらない。
何しろインテリでお医者さまで、偉大な歌人を父親に持つ芥川賞作家なのである。
教養があって、上品で、終始大マジメなのに、なおかつオモシロイ。
中学生の私はその不思議に驚き、新しい感覚に目を開かれた思いだった。
残念なことに躁病期に入って、どくとるマンボウもいちびり始めたので、生意気になりだした私は興ざめし、新刊は読まなくなった。
小さな田舎の古本屋に通って集めた初期の文庫本も、いつの間にか散逸して手元にはもう無い。
没後10年を記念し、2015年10月24日の記事を再掲載いたします。

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知りませんでした。
どくとるマンボウ確か読んだ記憶がありますが
忘れました。
子供でもスルスル読めちゃう。
ムツゴロウこと畑正憲は、
北杜夫の文体をまねて文筆業を始めたと聞いてます。
だからムツゴロウの文章も読みやすい。
北杜夫の本は父の書棚にあったけど、私はあまり読んでません。躁鬱病だと知ってエライ人もたいへんやと思いました。
大阪在勤中には「いちびる」はお耳にとまりませんでしたか。
ビジネスシーンでは出てこない言葉かもしれませんね。
ムツゴロウも子供の時に読みました。
動物王国に憧れたこともあります。
いちびる人は「イチビリ」、しょーむないことをする人は「ショームナイコトシー」。
動詞の連用形の名詞化の例でございます。おほほ。