ぱりーの話。
お盆なので、故人の話を。
私の手元に、灰皿がひとつある。
母方の祖父が手元に置いて、クリップだの輪ゴムだの入れて使っていたものを、田舎の家が取り壊される前に取ってきた。
白い磁器の皿の底には、線画のパリの街並みと、Hotel George Ⅴ の文字。
そう、パリのホテルの灰皿なのだ。
身内の恥を申し上げるが、その昔、わが祖父がドロボーして持ち帰ったものなのである。
日本人の海外旅行が盛んになったころ、ジャパン、ノーキョー、ジャルパックなどと揶揄されつつ、世界を席巻した観光団の中に、わが祖父母もいた。
新し物好きの祖父がアチコチ行きたがり、祖母はシブシブ世話係として随行したらしい。明治男の祖父は、箸をとってご飯を食べるにも、パンツを穿き替えるにも、祖母の手を借りねばならない人だった。
ワイキキビーチに行ってもロマンチック街道に行っても、祖母は祖父の面倒を見るのに忙殺され、観光気分は皆無だったようだ。
それが証拠に、孫の私たちにお土産を配ったり、写真を自慢げに見せるのはいつも祖父で、祖母はその横で、苦虫を噛み潰したような顔。
盗ってきた灰皿についても
あんなもん、タダのつもりで、どうせホテルの勘定につけられてるねん…
と、吐き捨てるように言っていた。
祖父が買いまくったお土産も、盗った灰皿も、割れぬよう荷造りするのは祖母の役目。
荷物も外貨も制限のある中、自分のものはほとんど買えなかったと思う。
ある日、祖母と母と都心のデパートに行った時、祖母が、柔らかそうないい靴を履いていた。
なんともいえない複雑な栗色の革靴で、つま先の丸みがとてもかわいらしい。
子供の目にもとてもいいものだということが分かった。
おばあちゃんのクツ、かわいいね!
そう褒めると、いつも難しい顔の祖母の表情がゆるみ
そうやろ パリーで買うたやつやさかいな
見る間にめためたと笑顔になった。
なんでも日本から履いていった靴が合わず、シャンゼリゼ通りの店で求めたものだという。
ブツブツ言いながら祖父の後をついてまわっただけの旅でも、花の都パリの印象は祖母の心に深く沈み、いつしか美しい思い出になっていたのだろう。
祖母が亡くなって、もう10年になる。

(50年前のパリ・ジョルジュサンク)

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私の手元に、灰皿がひとつある。
母方の祖父が手元に置いて、クリップだの輪ゴムだの入れて使っていたものを、田舎の家が取り壊される前に取ってきた。
白い磁器の皿の底には、線画のパリの街並みと、Hotel George Ⅴ の文字。
そう、パリのホテルの灰皿なのだ。
身内の恥を申し上げるが、その昔、わが祖父がドロボーして持ち帰ったものなのである。
日本人の海外旅行が盛んになったころ、ジャパン、ノーキョー、ジャルパックなどと揶揄されつつ、世界を席巻した観光団の中に、わが祖父母もいた。
新し物好きの祖父がアチコチ行きたがり、祖母はシブシブ世話係として随行したらしい。明治男の祖父は、箸をとってご飯を食べるにも、パンツを穿き替えるにも、祖母の手を借りねばならない人だった。
ワイキキビーチに行ってもロマンチック街道に行っても、祖母は祖父の面倒を見るのに忙殺され、観光気分は皆無だったようだ。
それが証拠に、孫の私たちにお土産を配ったり、写真を自慢げに見せるのはいつも祖父で、祖母はその横で、苦虫を噛み潰したような顔。
盗ってきた灰皿についても
あんなもん、タダのつもりで、どうせホテルの勘定につけられてるねん…
と、吐き捨てるように言っていた。
祖父が買いまくったお土産も、盗った灰皿も、割れぬよう荷造りするのは祖母の役目。
荷物も外貨も制限のある中、自分のものはほとんど買えなかったと思う。
ある日、祖母と母と都心のデパートに行った時、祖母が、柔らかそうないい靴を履いていた。
なんともいえない複雑な栗色の革靴で、つま先の丸みがとてもかわいらしい。
子供の目にもとてもいいものだということが分かった。
おばあちゃんのクツ、かわいいね!
そう褒めると、いつも難しい顔の祖母の表情がゆるみ
そうやろ パリーで買うたやつやさかいな
見る間にめためたと笑顔になった。
なんでも日本から履いていった靴が合わず、シャンゼリゼ通りの店で求めたものだという。
ブツブツ言いながら祖父の後をついてまわっただけの旅でも、花の都パリの印象は祖母の心に深く沈み、いつしか美しい思い出になっていたのだろう。
祖母が亡くなって、もう10年になる。

(50年前のパリ・ジョルジュサンク)

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おばあ様の『パリーで買うたやつさかいな』は、素敵な海外旅行の想い出で、自慢の靴だったんですね。
うちの祖母は普段は子供ら(すでに大人でしたが)のお下がりを着ていて、よそいきの服は、近所の洋裁のできるおばちゃんに作ってもらったので、おばあちゃんの服装を見て『あ、おでかけ?』ってすぐに解りました。
印象に残っているのは、叔父さん(息子)の学生時代の白いトレパンでした。
『これ、ラクでええねん』と。それとお古のセーターをほどいて毛糸のパンツを編んでくれたり。
昔の人は、モノを大事にしてました。
おじいさん、海外旅行に行かれてたんですね。
おばあちゃんも世話で、大変だったでしょう。
でも思い出の品もあったんですね。
お盆で、思い出したんですかね~
私も昔、フランス料理店で灰皿を持ってきちゃったことがあります。若気のいたりですよ💦
私の父は、鍾乳洞で鍾乳石を割って持って帰ってきたことがありますが、それはいかんだろぅ~と思いました。
なので父がよく持って帰ってきておりました。
今でもそれらはしっかり残っています。
おばあ様の靴、素敵な靴だったのですね。
うちの祖父は家でも定位置に座ったら座ったっきりで、食事もお茶もオヤツも祖母に運ばせ、私たちは陰で「だるま」と呼んでいました。
頭も禿げてて血色のいい赤い顔で、そっくりなんですよね。
そんな二人が暮らしていた家もブルドーザーに壊されてもうありません。
若い時はそうでもなかったのですが、この年になるとお盆に思うことがいろいろありますね。
思い出の品がガメてきた灰皿っていうのも祖父らしいと思います。
昔はこんな風に飲食店でなんか取ってくるって人が結構いたみたいですね。
鍾乳石は…それはまずい、非常にまずいです!(笑)。
そういえば昔勤めていた会社の湯沸かし室にJALのロゴ入りのスプーンがあり、なぜだろうと不思議に思っていました。
そういうわけだったんですね。
機内食は大好きです。ぜひご自宅で再現してください!