マンボウ本。
数が多いことを、私はつい「ゴマンとある」などと言ってしまう。
両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。
考えてみたら、どうやら子供の頃読んだ「どくとるマンボウ」シリーズの影響のようだ。

(「どくとるマンボウ航海記」 中公文庫)
その頃筆者は、既にその文名を馳せ、ベストセラー「どくとるマンボウ」は文庫化されていた。
小遣いの乏しい中学生は、それすら易々とは買えず、古本屋の50円均一棚を探しに探した。
何がそんなに面白かったのだろう、いうならばいちびる以外の笑わせ方を知った、ということだろうか。
いちびる、というのは、関西弁で「図に乗ってふざける」という意味である。
学校のどのクラスにも、面白い、と言われる子は必ずいて、皆を笑わせている。
すっとんきょうな発言や、こっけいな表情、度を超えた悪ふざけ。
いちびりと呼ばれるそんな同級生につい笑わされながらも、人を笑わせるなんてあんまり立派なことじゃないと思っていた。
しかしどくとるマンボウはいちびらない。
何しろインテリでお医者さまで、偉大な歌人を父親に持つ芥川賞作家なのである。
教養があって、上品で、終始大マジメなのに、なおかつオモシロイ。
中学生の私はその不思議に驚き、新しい感覚に目を開かれた思いだった。
残念なことにその後筆者は躁病期に入り、どくとるマンボウもいちびり始めたので、いつしか興ざめして、新刊は読まなくなった。
小さな田舎の古本屋に通って集めた初期の文庫本も、いつの間にか散逸して手元にはもう無い。
今日で筆者北杜夫の没後4年になる。

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両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。
考えてみたら、どうやら子供の頃読んだ「どくとるマンボウ」シリーズの影響のようだ。

(「どくとるマンボウ航海記」 中公文庫)
その頃筆者は、既にその文名を馳せ、ベストセラー「どくとるマンボウ」は文庫化されていた。
小遣いの乏しい中学生は、それすら易々とは買えず、古本屋の50円均一棚を探しに探した。
何がそんなに面白かったのだろう、いうならばいちびる以外の笑わせ方を知った、ということだろうか。
いちびる、というのは、関西弁で「図に乗ってふざける」という意味である。
学校のどのクラスにも、面白い、と言われる子は必ずいて、皆を笑わせている。
すっとんきょうな発言や、こっけいな表情、度を超えた悪ふざけ。
いちびりと呼ばれるそんな同級生につい笑わされながらも、人を笑わせるなんてあんまり立派なことじゃないと思っていた。
しかしどくとるマンボウはいちびらない。
何しろインテリでお医者さまで、偉大な歌人を父親に持つ芥川賞作家なのである。
教養があって、上品で、終始大マジメなのに、なおかつオモシロイ。
中学生の私はその不思議に驚き、新しい感覚に目を開かれた思いだった。
残念なことにその後筆者は躁病期に入り、どくとるマンボウもいちびり始めたので、いつしか興ざめして、新刊は読まなくなった。
小さな田舎の古本屋に通って集めた初期の文庫本も、いつの間にか散逸して手元にはもう無い。
今日で筆者北杜夫の没後4年になる。

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佐藤愛子、遠藤周作との鼎談が面白く、その
時からご自分を躁鬱なんだと言われていましたが
冗談だと思っていました。お母様の輝子さんのエピソードも面白く、斉藤茂吉の歌風とはまた違う事に
少し驚きました。実は私も「そんな人はごまんと
いるよ」等よく使いますよ(^.^)
そうですか~子供のころ読んでいたんですか~
私も読んだような気がしますが、覚えておりません。
何せ、本なんか買ってもらえなかったし、図書館もありませんでした。
楡家の人々で、お金持ちの子どもも大変で、ちょっとゆがんだりするんだ、と思ったりしました。
お母様のわがままさには、お嬢様育ちへの憧れ(?)を感じたものです。
庶民じゃ、あの傍若無人自由奔放は、許されんわなぁ・・・。
懐かしい時代を思い出しました。
ありがとう~♪
ただしぢょん・でんばあ様と違いその出典は不明であります。
>両親も周囲の人も、そんな言い方はしない。
言われてみればそうかもしれません。
耳にしませんね。
「どくとるマンボウ」は私も読みましたが、なんか波長が合わないのか読みあさることはありませんでした。
丸谷才一は読まれますか?
わあ、趣味が合いますね!
母は遠藤周作の狐狸庵エッセイを楽しんでいましたが、私は北杜夫のほうが好きでした。
キョーレツなお母様のエピソードも楽しかったですね。
私の育ったところは文化果つる土地でございまして、新刊書店は商店街の端っこの小さな小さな店だけ、図書館までは電車で行かないといけなかったのですが、どういうわけか一軒だけ、古本屋があったのです。
10円や50円で買える、ジャケットの無くなった文庫本を、乏しいお小遣いから選びに選んで、買っては読みました。
今はアマゾンで買いたい放題ですが、あの頃のほうが吸収が良かったですね。何しろ必死さが違います。
エッセイに出てくる輝子お母様は、言いたいことを言い、やりたいことを我慢しない「快妻」ですけれども、「楡家」や「幽霊」の主人公の母親像には、子供の養育は使用人に任せ、子供からは距離をとるビクトリア朝イギリスの上流家庭の母親のような、一種小説的なものを感じますね。
今読んでみたらまた感じ方も違うかもしれません。
丸谷才一は「遊び時間」「日本文学史まるわかり」くらいまでは楽しく読みました。
「忠臣蔵とは何か」が意外に面白くなかったです。
小説が壊滅的につまんなくないですか?「女ざかり」とか、読んで後悔しました。
それにしても、でんばあ様が読まれた本の名前を良く覚えていらっしゃることに尊敬です。
私はそのへん全然だめです。
今も昔もなんにも覚えられず、
「おもしろかったなあ」で終わり。
覚えていることと言えば、私もRayさまと同じく、愛子嬢、周作氏との3人組が大好きでした。
マンボウ氏のあの斜め目線がなんともいえず、「うっしっし」となったものです。
若い時読んだものって忘れませんね。
最近は全然ダメですけど。
特に外国人作家の名前とか、いつもいつも思い出せずにどこかに引っかかったままでいます。
ゴマンと…字面で見ると理解できますが、口に出して言う人って案外いないですよ。
じっさい言ってみると、聞いた人の表情がちょっとだけ?と引っかかる感じになるので、わかります。