しじゃくの話。
子供の頃は、テレビで落語を見られた。
ガチャガチャとチャンネルを変えれば、どこかしらの局で、座布団を敷いた男が1人、身振り手振りでおかしい話をしていたものだ。
漫才も新喜劇も面白いけれど、私は断然落語派。
はじめは違和感しかない。
賑やかなお囃子に乗って現れるのは、お正月でさえ見ることは無くなった、着物姿の男。
見台と膝隠しを前にちんまり座って、遠い昔の長屋の住人となって話し出す。
昭和の子供にはおよそ縁のない世界が、目の前で広がったと思えば、あっという間に引き込まれ、気づけばアッハッハと笑っている。
引きずり込まれる感覚が、なんとも言えない。
落語は、私にとって一種のパラレルワールドだった。
なかでも抜群に面白かったのが枝雀である。
型破りのアクションや滑稽な表情ばかりがクローズアップされがちだが、それだけではない。
枝雀の噺は清潔で、ピュアであった。
ものすごくよくできたジオラマに、自分も小さく小さくなって飛び込んだような、現実の雑味がない、完全で美しい世界であった。
噺が終わってそこを去る時、名残惜しい、ずっとこの世界にいたい、そう思える。
枝雀の噺は、枝雀という人が作った理想郷なのだ。
枝雀がそこにいる時代を生きたことを、私のいくつかの幸せのひとつに数えたい。
そして、枝雀がもういない時代を生きていかねばならぬことを、不幸だと思う。
桂枝雀が死んで、今日で20年になった。

(かつら しじゃく 1939.8.13- 1999.4.19)

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ガチャガチャとチャンネルを変えれば、どこかしらの局で、座布団を敷いた男が1人、身振り手振りでおかしい話をしていたものだ。
漫才も新喜劇も面白いけれど、私は断然落語派。
はじめは違和感しかない。
賑やかなお囃子に乗って現れるのは、お正月でさえ見ることは無くなった、着物姿の男。
見台と膝隠しを前にちんまり座って、遠い昔の長屋の住人となって話し出す。
昭和の子供にはおよそ縁のない世界が、目の前で広がったと思えば、あっという間に引き込まれ、気づけばアッハッハと笑っている。
引きずり込まれる感覚が、なんとも言えない。
落語は、私にとって一種のパラレルワールドだった。
なかでも抜群に面白かったのが枝雀である。
型破りのアクションや滑稽な表情ばかりがクローズアップされがちだが、それだけではない。
枝雀の噺は清潔で、ピュアであった。
ものすごくよくできたジオラマに、自分も小さく小さくなって飛び込んだような、現実の雑味がない、完全で美しい世界であった。
噺が終わってそこを去る時、名残惜しい、ずっとこの世界にいたい、そう思える。
枝雀の噺は、枝雀という人が作った理想郷なのだ。
枝雀がそこにいる時代を生きたことを、私のいくつかの幸せのひとつに数えたい。
そして、枝雀がもういない時代を生きていかねばならぬことを、不幸だと思う。
桂枝雀が死んで、今日で20年になった。

(かつら しじゃく 1939.8.13- 1999.4.19)

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懐かしいです。それまでの落語って
あまり大きな声で笑うということが
無かったような記憶ですが
枝雀さんの落語ってオーバーアクションで
腹を抱えて笑った記憶があります。
そうかぁ。もう20年も経つのかぁ。
大阪在住のころは毎週日曜日の昼に枝雀が観られました。
もう20年ですか~私は今でもユーチューブで見ております。
滑稽な仕草や顔が面白かったですよね。
ラジオで聞いても、おもしろかったので、顏芸ではない!と思ってます♪
創作落語の、夢たまごやったかな~好きです。
見た目にも惹きつけられますが、音源のみで聴いても独特なんですよね。個人的には『鷺とり』はこのひとが一番というか、特に雀の下りはもう雀になりきってるなぁ、と。「さぁ~ぎぃ~…」のところももう、顔の筋肉が引きつるほど笑ったものでした。
20年も経つのですね。
亡くなられていたんですネ。
本当に見ていても楽しい落語家さんでした。
独特の世界がありましたね。
私の仕事の関係での 落語会の本番の日に枝雀さんが急に来られないと連絡があり エッ?枝雀さんを楽しみにされていた方もあり 残念だったことを思い出しました。三月のある日でした もう20年になるんですね。
ユーチューブで落語を毎日聞いています。
枝雀さんの落語ももちろん聞いていますよ。
もう20年ですか。つい最近の話のような気がします。今のテレビは品がなくて見たまんまなのでだからか知らないけど想像力がない人が多いですね。
やっぱり表現は制限がたくさんあればあるほど面白い気がします。
講談も大好き。
ただ、枝雀は苦手でした。
あのアクションが。
西なら米朝、東なら志ん朝が贔屓です。
学生の頃、寄席に行ったことがいい思い出になってます。
ロックも落語もあのグルーブ感が堪らない!
そんなに経つのか、と、今回調べてみて私もビックリしました。
上燗屋、好きな噺でした。
ちょうど毎週「枝雀寄席」などもやっていた時期です。
いい頃に大阪にいらしたんですね。
アレ―、落語きかれるんですか?
wancoさんはハイカラやから、音楽は聞いても落語のイメージなかったわあ。
ますます親しみが湧きました。
ハハハ…あの『こぼれ梅』のシーンですね!
小さい生き物、子供や女の人がかわいらしいのもいいですよね。
亡くなる前お休みもされていたので、長いこと高座は見られませんでしたね。
寂しいことです。
YouTubeというものができて、意外なほど若い人が枝雀を聞いていたりしますね。
面白い世の中になりました。
今のテレビの制限は昔のそれとは質が違うように思います。
昔が良かったと思うのは老化の印と言いますが、私もその伝で行けば老化が進んでいるようです。
枝雀のアクションや表情は後でつけたもので、地は地味な人と思います。
志ん朝は1度しか実物を見ていませんが、粋でかっこよかったです。
意外と、ハードロック・へヴィメタルを聴く人は、プロレスと落語って、好きな人が多いんですよ~男性が多いですけどね。
そうなんだー!
サンケイホール、懐かしいですね。独演会よくやってましたもんね。